大判例

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津地方裁判所 昭和32年(わ)9号 判決 1963年5月15日

本籍 三重県安芸郡河芸町大字久知野一、八三四の一

住居 同所

国鉄職員 青保雄

大正一三年八月一七日生

本籍 三重県鈴鹿郡鈴峯村大字原四八八

住居 同所

国鉄職員 水野幹夫

昭和二年二月一〇日生

本籍 三重県安芸郡河芸町大字上野二三五

住居 同所

国鉄職員 別所力

大正一〇年六月二七日生

本籍 三重県伊勢市竹鼻町一五

住居 同所

国鉄職員 四ツ谷準之助

大正一四年八月一日生

本籍 三重県一志郡三雲村大字曽原八三六

住居 同所

国鉄職員 杉山静雄

明治四〇年七月三一日生

右の者等に対する各業務上過失致死傷、業務上過失往来妨害被告事件につき当裁判所は、検察官末永秀夫出席のうえ審理を終え、次のとおり判決する。

主文

被告人青保雄を禁錮二年に

被告人水野幹夫を禁錮一年に

処する。

被告人水野幹夫に対し本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

被告人別所力、同四ツ谷準之助、同杉山静雄はいずれも無罪。

理由

(略語について)

この判決において、運心とは、日本国有鉄道総裁達昭和三一年八月一〇日現在の「運転取扱心得」。細則とは、特に附記なきものは天王寺鉄道管理局昭和三一年一〇月現在の「運転取扱細則」。供述(裁)は公判廷における供述、公判調書中の供述部分、証人尋問調書を、供述(三一・一〇・一六)は検察官に対する昭和三一年一〇月一六日付供述調書をそれぞれ意味する。

【当裁判所の認定した事実】

第一日本国有鉄道紀勢本線六軒駅(昭和三一年一〇月一五日当時は参宮線六軒駅と呼称されていたので、以下これにならう)について――その一

六軒駅は三重県一志郡三雲村小津地内亀山駅起点南方二九・一三キロメートルの地点にあり北隣接駅は高茶屋、南隣接駅は松阪である。参宮線は単線であるが六軒駅構内においては上り線・下り線二本の線路が南北に平行に走行し、これをはさんで東側に下りホーム、西側に上りホームがあり、東側ホーム上に駅舎が設けられている。又駅舎中心から北方二三三・三メートルの地点に二一号ロポイントがあり、同所から北方に長さ九一・五メートルの上り安全側線が設置せられ又駅舎中心から南方一三三・八メートルの地点に二六号イポイントがあり、同所から南方に長さ一一〇・九メートルの下り安全側線、その終端部から南方に三〇メートルに亘り砂盛りがそれぞれ設けられている。線路の状況、信号機、ポイント、信号取扱所、転てつ手詰所(北箱番、南箱番)の各位置は別紙図面第一、第二に示すとおりである。

昭和三一年一〇月一五日当時参宮線と呼ばれていた路線は亀山駅から鳥羽駅に至る六一キロの区間で、同線は単線乙線であるので列車の最高速度は時速八五キロに制限されていた(運心一〇五条、五六七条)。また参宮線の列車に対する信号は各駅毎に駅長(助役)または信号掛等が信号機を操作して列車に信号現示をするいわゆる非自動区間である。

駅の北方線路は平坦で、遠方信号機外方まで見通し得るに反して、南方は南転てつ手詰所あたりからその南方約二七〇メートルの地点にある三渡川鉄橋北詰に至るまで千分の一五・二の緩やかな上り勾配をなし、同鉄橋南詰(北詰南方八三・五八メートル)よりは逆に千分の一五・二の下り勾配をなしているので南転てつ手詰所乃至下りホームから同鉄橋南詰以南を見通すことはできない。又駅の南方には三渡川鉄橋の外、上り場内信号機と右鉄橋との間に小津避溢橋(延長五・六五メートル)がある。

信号機は上り列車に対するもの、下り列車に対するものいずれも進行方向左側に設置されている。その所在する各地点は

一、下り遠方信号機は六軒駅中心(駅舎本屋中心――以下単に中心と表示する)から北方七五八・九メートルの地点に

二、下り場内、通過信号機は中心から北方三五〇・八メートルの地点に

三、下り出発信号機は中心から南方一一九・一メートルの地点に

四、上り遠方信号機は中心から南方六三一・七メートルの地点に

五、上り場内、通過信号機は中心から南方二六八・六メートルの地点に

六、上り出発信号機は中心から北方二二四・二メートルの地点に

それぞれ設置され、この下り場内信号機と上り場内信号機との間南北六一九・四メートルにわたる区域を六軒駅構内と呼ぶ。

前記の信号機を操作する信号取扱所は、東側ホーム、駅舎の近く、中心より北方一四・二メートルの地点にあつて、ここに設置されている信号てこを操作することにより信号の現示をなすものである。

六軒駅には前記の如く上下線にそれぞれ出発信号機、場内信号機、通過信号機、遠方信号機があり、場内信号機と通過信号機は同一の柱に設置されている。((即ち通過信号機を附設した場内信号機の設けてある、非自動区間(運心三八一条乃至三八三条等に関係を有する)の駅である。))

場内信号機と出発信号機とを主信号機、遠方信号機と通過信号機とを従属信号機という。(遠方は場内の、通過は出発のそれぞれ従属信号機である。)従属信号機は主信号機の現示をその前方において予告するものである。

六軒駅の信号機はすべて二位式腕木式の信号機で、二位式とは主信号は停止と進行を、従属信号は注意と進行を現示するものをいう。

参宮線は単線の非自動区間であるので、主信号の停止信号と従属信号の注意信号を定位とし、進行信号を反位としている。信号機の定位とは信号を扱わないときに信号機が現示する信号の状態である。而して信号機の定位は昼間は腕木が水平に、夜間は主信号機は赤色、従属信号機は橙黄色に信号を現示し、反位は昼間は腕木が左へ四五度下向すること、夜間は緑色により現示することになつている。(正式には緑色であるが、一般には青と呼びならわしているので、本判決書においてもこれにならう。)

一、列車が六軒駅に入駅出駅しないときは信号機は全部定位とする。

二、下り(上り)列車が六軒駅に停車するときは下り(上り)場内、遠方両信号機を反位とする(第三図、第五図参照)

三、下り(上り)列車が通過するときは、下り(上り)の信号機の全部を反位とする。(第四図参照)

六軒駅において信号機を取扱うことができる者は当務駅長(その日駅長の仕事を行う者)及び信号担務者である。ところで六軒駅の信号機は主信号機を反位にしなければ従属信号機は反位にならず、また従属信号機を先ず反位から定位に復さなければ主信号機を反位から定位に復することはできない。また通過信号機を反位にするには出発信号機と場内信号機とを反位にしなければならない。また六軒駅通過扱としての出発、場内、通過、遠方各反位の信号現示を定位に復するには遠方、通過、場内、出発の順序に復位しなければならないように鎖錠されている。

六軒駅に停車列車を入駅させるときは、場内反位、遠方反位の順序で信号機を扱い、列車が入駅し終れば直ちに遠方、場内の順序で定位にする。

六軒駅を列車が通過するときは、出発、場内、通過、遠方の順序で信号機を反位とし列車が通過し終れば遠方、通過、場内、出発の順序で定位とする。

尤も反位の通過信号機を定位にする場合には、場内信号機の反位に関係なく定位にすることができる。

六軒駅には北方(亀山方)より順次南に二一号イ、ロポイント、二二号ポイント、二三号ポイント、二四号ポイント、二五号ポイント及び二六号イ、ロポイントがある(昭和三一年一〇月一五日当時)即ち

一、中心から北方二九一・八メートルの地点に二一号イポイント

二、同じく二三三・三メートルの地点に二一号ロポイント

三、中心から南方一三三・八メートルの地点に二六号イポイント

四、同じく一九五・五メートルの地点に二六号ロポイント

があり、

二一号イポイントと二六号ロポイントとは単線区間で上下本線を分岐するポイントであつて、列車の進入してくる方向に開通して置くのを定位とし(二一号イポイントは下り線へ、二六号ロポイントは上り線へ)二一号ロポイントと二六号イポイントとは本線と安全側線とを分岐するポイントであつて、安全側線の方向に開通して置くのを定位とし(二一号ロポイントは上り安全側線へ、二六号イポイントは下り安全側線へ)

二二号ないし二五号ポイントは本線と側線とを分岐するポイントであつて本線の方向に開通して置くのを定位とする。

定位にあるポイントを転換したときの方向を反位といい、ポイントを列車通過等の関係で反位に開通したときには用済み後すみやかに定位に復さなければならない。

六軒駅において重要なポイントは二一号イ、ロポイント及び二六号イ、ロポイントであつて、右のポイントのために転てつ手詰所が設けられている。即ち、

一、中心から北方二八三・九五メートルの地点に北転てつ手詰所(北箱番)。

二、中心から南方一九一・三六メートルの地点に南転てつ手詰所(南箱番)。があり、転てつ手がそれぞれ箱番の直ぐ傍に在る転てつてこを操作して二一号若しくは二六号ポイントの切り替えを行う。

而して二一号イ、ロポイント並に二六号イ、ロポイントは二動転てつ器であつて一個のてこの操作によつてイ、ロの二個のポイントが同時に転換でき、二二号ないし二五号ポイントは単独転てつ器であつて一個のてこにより一個のポイントのみ転換できるようになつている。

また列車運行上重要な役割を荷う二一号ポイント、二六号ポイントについては、後記の如く右ポイント信号機と密接な関連が存するので、信号取扱者においてこれ等ポイントの定位、反位を確認できるようにするため転てつてこの個所に各転てつ器標識機が附設され、右の標識機は昼間においては青の円型が定位、橙黄色の矢はず型が反位であることを示し、夜間においては青紫色のランプが定位、橙黄色のランプが反位であることを示すようになつている。

二一号イ、ロポイント、二六号イ、ロポイントは前記の如くいずれも二動式になつているのでイが定位のときはロも定位、イが反位のときはロも反位である。従つて、

一、二一号イポイントが定位のときは二一号ロポイントも定位であり、下り列車が入駅し得るように線路が開通しているときは上り列車は出駅できぬよう上り安全側線に線路が開通している。二一号イポイントが反位のときは下り列車は入駅できないのに反して二一号ロポイントが反位になつているので上り列車の出駅は可能である。

二、二六号イポイントが定位のときは二六号ロポイントも定位で、下り線は安全側線に開通し上り列車が入駅できるように線路が開通している。二六号イポイントが反位のときは下り列車は出駅できるが、上り列車は二六号ロポイントが反位となつているので入駅できない。

三、下り列車が六軒駅を通過するときのポイントの取扱いは、

二一号ポイント定位

二四号ポイント定位

二六号ポイント反位

とし(図面第四参照)

四、上り列車が通過するときのポイントの取扱いは、

二六号ロポイント定位

二五号ポイント定位

二二号ポイント定位

二一号ロポイント反位

とする。

五、上・下両列車を同時に入駅停車させる場合のポイントの取扱いは、下り列車に対し、

二一号イポイント定位

二六号イポイント定位

上り列車に対し

二六号ロポイント定位

二一号ロポイント定位

とする。(図面第五参照)

即ち二一号イ、ロポイント、二六号イ、ロポイントは上・下両列車が同時に入駅、出駅できない仕組となつて居り、上・下両列車の衝突事故の発生を防止する役割をつとめている。

信号機とポイントとの関係について述べると信号機相互間に密接な関係の存すること(鎖錠関係)並びに二一号、二六号両ポイントが二動式になつていることは既に略述した如くであるが連動装置第二種機械丙式を採用する六軒駅における信号機とポイントとの間にも以下の如き関連が存する。

一、下り場内、遠方信号機を反位にするには(下り列車を入駅させる信号現示をするには)二一号イ・ロポイントが定位でなければならない。この信号現示のもとで二一号ポイントを反位に転換することはできない。二一号ポイントを反位に転換するには先ず下り遠方、場内信号機を定位に復位しなければならない。この状態を下り場内信号機は二一号ポイントと定位鎖錠の関係に在るという。

二、上り出発信号機を反位にするには(上り列車を出駅させる信号現示をするには)二一号ポイントが反位でなければならない。上り出発信号機が反位にあるときには二一号ポイントを定位に転換することはできない。二一号ポイントを定位に転換するには先ず上り出発信号機を定位に復位してからでなければならない。(下り出発信号機は二一号ポイントと反位鎖錠の関係にある。)

三、上り場内、遠方信号機を反位にするには(上り列車を入駅させる信号現示をするには)二六号イ・ロポイントが定位でなければならない。上り場内、遠方信号機が反位であるときには二六号イ・ロポイントを定位から反位に転換できない。必ず上り場内、遠方信号機を反位から定位に復位して然る後二六号ポイントの定位から反位への転換の操作にかからねばならない。(上り場内信号機は二六号ポイントと定位鎖錠の関係にある)

四、下り出発信号機を反位にするには(下り列車を出駅させる信号現示をするには)二六号イ・ロポイントが反位でなければならない。下り出発信号機が反位のときは二六号イ・ロポイントを反位から定位に転換できない。二六号イ・ロポイントを反位から定位に転換するには先ず下り出発信号機を反位から定位に復位しなければならない。(下り出発信号機は二六号ポイントと反位鎖錠の関係にある)

前述した三と四との鎖錠関係から次のことが明瞭となる。

下り出発信号機が反位のとき(下り列車の出駅を許容する信号を現示しているとき)は二六号ポイントはイ・ロともに反位である。

二六号ロポイントが反位のときには上り場内、遠方信号機を反位とすること換言すれば上り列車の六軒駅入駅許容の信号を現示することは不可能である。

下り列車出駅(通過する場合も含める)許容の信号現示(二六号イポイント反位、下り出発信号機反位)としながら同時に上り列車入駅許容の信号現示(二六号ロポイント定位、上り場内、遠方信号機反位)とすることは前述の鎖錠関係から不可能である。

信号機を扱う場合は先ずポイントによつてその信号機の進路が構成されているか否かを確認し、然る後に扱わなければならない。

一、下り列車が六軒駅を通過するときは、二一号イポイント定位、二四号ポイント定位、二六号イポイント反位と進路を構成した後、下り出発、場内、通過、遠方の順序で信号機を反位とする。(図面第四参照)

二、上り列車が六軒駅を通過するときは二六号ロポイント定位、二五、二二号ポイント定位、二一号ロポイント反位と進路を構成した後、上り出発、場内、通過、遠方の順序で反位とする。

三、上・下列車が六軒駅で行き違うときは、二一号イポイント、二四号ポイント、二六号イポイントを定位とした後、下り場内、遠方信号機を反位とし、二六号ロポイント定位、二五、二二号ポイント定位、二一号ロポイント定位と進路を構成した後上り場内、遠方信号機を反位とする。

(図面第五参照)

ポイントは信号機が全部定位のときは定位、反位いずれへも自由に転換できる。

信号機を取扱う者はポイントの定位、反位を前述の転てつ器標識によつて確認して信号を取扱い、信号を取扱つたときはその信号の現示を確認する。

第二閉そくと通票について

列車運転の安全を保証するため、国鉄においては閉そくの方式を採り、この方式を施行するために線路を閉そく区間と呼ばれる幾つかの区域に分け、原則として一閉そく区間には二以上の列車を同時に運転せしめない(運必一三四条、一三八条)。参宮線についても同様であり(細則八五条)単線、非自動区間である同線においては、通票閉そく方式を採つているので、列車を出発又は通過させるときは、その前に閉そくの取扱者である駅長において閉そくを行い(運必一四二条、一四四条一項)、その閉そく区間に対する通票を機関士に渡さなければならない(運心一七七条本文)。而して、駅長が機関士に渡すべきこの通票は閉そくの取扱いをする駅長において対手駅の駅長に対し閉そくの承認を求め、これに対し対手駅の駅長は、その閉そく区間に列車又は車輛のないことを確めた後、閉そくの承認を与え(運心一四四条二項)、然る後右両駅長がそれぞれの駅舎内に装置された組をなす通票閉そく機を協同して取扱うことにより、はじめてここにその区間に専用する通票を取り出すことができるのであつて(運心一五七条、一六〇条、一七一条乃至一七三条)機関士は、その閉そく区間に対する通票を携帯しなければ、列車を運転できないのである(運心一七八条)。即ち、通票は機関士にとり通行許可証とも謂うべきものである。

この通票は、或る特定の閉そく区間両端駅に装置された閉そく機からは一個しか取り出すことができず、取り出してある通票を通票閉そく機に納めない限り両端いずれの駅の閉そく機からもその区間に対する別の通票を取り出すことはできない。一閉そく区間に通用する通票は一時に一個と限られる。しかも通票はある閉そく区間に専用で、隣接する閉そく区間の通票はその種類形状を異にし、異なる種類の通票を通票閉そく機に収容することはできない(運心一七一条乃至一七六条)。

機関士は、通票の使用を終つたときは、これを駅長に返さなければならないし(運心一八〇条)、列車の運転に使用した通票は、一旦通票閉そく機に納めた後でなければ、これを他の列車に使つてはならない(運心一七九条本文)。

停車場に列車が到着したときは閉そくの解除を行うが(運心一四五条一項、一七六条)、そのためには到着列車の機関士が携帯して来た通票を通票閉そく機に納めた後、電鈴四打して対手駅に対し閉そく解除の承認を求め、対手駅よりこれに対する承認があつてここにはじめて閉そくは解除される。一旦取り出された通票が何等かの事情でその使用目的を失つた場合においても右と同様の手続により閉そくの解除を行わなければならない。

前記のように、列車の運転に使用した通票は一旦通票閉そく機に納めた後でなければ他の列車に使用し得ないのが原則であるが、例外として列車が行違うときは、鉄道管理局長が指定するところに従い、使用した通票を通票閉そく機に納めることなく、そのまま反対方向の列車に折り返して使用することができる(運心一七九条但し書)。この規定を受けて天王寺鉄道管理局長は細則九六条において、通票閉そく式施行区間の駅長は、列車行違いの場合、その行違い時分が一〇分以内のときは、対手停車場の駅長と打合せの上、他の列車に使用した通票を閉そく機に納めずに、そのまま反対方向の列車に折り返し使用してもよいと規定している。なお同条局問答3において、列車遅延のため折返し時分が一〇分以内となる見込みのときは両端停車場の駅長が打合せて折返し使用の取扱いをしてもよい旨の解釈が示されている。この通票折返し使用の場合には、その閉そく区間両端の停車場の通票閉そく機に「通票折返使用」の木札を立ててその旨を表示することとなつている(運心一八〇条)。

駅長と機関士との間の通票の受授は、通常、通票革袋を使用し(細則九〇条)、直接手から手に受け渡す方法により行われるが、通過列車の場合には、通票受授柱の使用が認められている。(運心一八四条、細則九一条)。六軒駅においては、通過列車に対し受柱はその都度ホーム中央に駅員により立てられるが、授柱は上りホーム北端、下りホームの南端にそれぞれ固定して設置されている。通票受柱は通過列車以外には使用してはならない。しかしそれは決して通票受柱か信号機の補助的役割をつとめるからというのでなくて乗降客の安全保護の点からである。

ところで、停止信号の現示を定位(停止定位)とする信号機に進行を指示する信号を現示するには閉そくの取扱いを終了した後でなければならないし、出発信号機はその閉そく区間に対して閉そくの取扱いを終つた後でなければ、これに進行信号を現示してはならない(運心三七三条、三七四条)。六軒駅は停止定位の駅である。

以上の信号機、ポイント、連動装置及び閉そくと通票の一連の関係から、次のことが明らかとなる。

六軒駅から松阪駅に列車を出発又は通過させるためには、下記の手順をふまなければならない。

A  六軒駅より通票を取り出す場合。

(停車列車の取扱い)

六軒から松阪に閉そくの承認を求める。

松阪からこれに対する承認を得る。

六軒の通票閉そく機から通票を取り出す。

二一号イポイントを定位とする。

下り場内、遠方信号機を反位とする。

下り列車の機関士の携帯して来た通票を受取り、松阪方への通票を渡す。

二六号イポイントを反位とする。

下り出発信号機を反位とする。

(通過列車の取扱い)

通票受柱を下りホーム中央に立てる。

Aと同一の手続を経て通票を取り出し、これを下りホーム南端の通票授柱に装てんする。

二一号イポイント定位、二六号イポイントを反位とする。

下り出発、場内、通過、遠方の順序に信号機を反位とする。

B 通票折返し使用の場合

松阪より六軒に上り列車の閉そくを求める。

六軒より松阪に右に対する承認を与える。

六軒より松阪に折返し下り列車の閉そくを求める。

松阪より六軒に右に対する承認を与える。

松阪駅の通票閉そく機から通票を取り出す。

両駅の閉そく機に通票折返使用の木札を立てる。

右の如き手続を経て上り列車が六軒駅に到着し、六軒駅長においてこの通票を受領した以後の手続は、六軒にて通票を取り出すAの場合と同一である。

従つて、松阪より六軒に対し上り列車の閉そくを求め六軒がこれに対し承認を与え六軒よりの折返し閉そくの承認申入れに対し松阪が承認を与えた場合に、このような閉そくの条件のもとに、松阪方から六軒に向け上り列車が進行中に六軒から松阪に向け下り列車が進出するが如き事態は、閉そく方式を無視しない限り起り得ない。まして上り列車が松阪発進後、下り列車が六軒を通過して松阪に向うなどいう列車の運転は、閉そく方式に遵う限り全く不可能事に属する。なんとなれば、下り列車六軒通過の扱いをするには六軒駅の閉そく機から通票を取り出し、下りホーム南端にある通票授柱に装てんして置かなければならないが、既に松阪方からこの閉そく区間の通票が取り出されている以上(これが上り列車運転の必須条件である)、六軒においてこれと同種の通票を取り出すことは通票閉そく機の構造上不可能だからである。

第三運転整理について

運転整理とは列車を正常に運転せしめるための列車の整理である。これを本件についていえば、下り二四三列車と上り二四六列車の所定行違駅は松阪駅であるが、後記の通り二四三列車が遅延しているため所定通り松阪行違いとすれば二四六列車も遅延をまぬがれないので、この行違駅を松阪駅よりも亀山駅に近い六軒駅として二四六列車の遅延を最少限度に止めようとするような場合に行われる。

運転整理は、鉄道管理局長が行うことになつているが、各鉄道管理局には運転部列車課列車指令室があつて同室勤務の列車指令にこの権限が委ねられている。参宮線は天王寺鉄道管理局に属しているのであるが、昭和三一年一〇月一五日に同管理局に勤務していた同線担当の列車指令は村井一夫であつた。同人は、過去に亀山駅に勤務していた経験を有し、当日も二四三列車は常の如く同駅三番線に到着し、つけ換え機関車も東引上線に待機しているものと判断していた。(図面第六参照)

同人は、一七時四二分頃下ノ庄駅に連絡して上り四二〇列車の遅延時分、下り四二一列車の遅延時分の報告を受けて運転計画をたて、津駅から松阪駅間の各駅に次の通り運転整理を指令した。

一  一七時四五分頃、津駅の山中助役に対し、二四三列車が遅延するから四二一列車は阿漕待避、四二一列車に乗車している松阪以遠の乗客は津において二四三列車に乗車させる旨(通常ダイヤでは四二一列車は二四三列車に松阪駅まで先行し同駅で待避することになつていた)。

二  一七時四七分頃、阿漕駅の中井助役に対し、二四三列車が遅延するから、四二一列車は同駅で待避すること、四二一列車と二四六列車は高茶屋駅で行違いをすること、及びこれらのことを高茶屋駅へ阿漕駅が連絡すること。

三  一七時五三分頃、六軒駅の助役被告人別所力に対し、二四三列車が一〇分位遅延するから二四三列車と二四六列車は六軒行違い、二四三列車と一四六四列車(貨物列車)は松阪行違い(所定ダイヤと同じ)、一四六四列車と四二一列車は六軒行違い(所定ダイヤでは松阪)、四二一列車と二四六列車は高茶屋行違い、二四三列車が二四六列車より少し早く六軒駅に到着するかもしれない旨

四  一七時五五分頃、松阪駅の沢木運転掛に対して、二四三列車が遅延するから二四三列車と二四六列車は六軒駅に行違変更、二四三列車と一四六四列車は松阪駅で行違いの旨

それぞれ指令した。

阿漕駅中井助役は右の指令を受けた直後、高茶屋駅の嶋垣助役に対し、四二一列車と二四六列車の同駅行違いを連絡し、六軒駅の被告人別所も右の指令を受けた直後、二四三列車と二四六列車の行違いが同駅に変更されたことを高茶屋駅と松阪駅に連絡し、松阪の沢木運転掛も六軒の別所に二四三、二四六行違駅変更指令を連絡した。

右の行違変更は運転整理としてなされたものであるので列車を出発させる駅としては列車に対して運転通告券によつて通告する義務がない。

二四三列車が津駅を発車した一八時八分三〇秒頃同駅において二四三列車と二四六列車との六軒駅行違変更を仮に知つていたとしても、同駅では二四三列車に対して何ら通告する義務はない。二四三列車が六軒駅に停車した際に同駅から二四三列車乗務員に対し右の行違変更を口頭で通告すれば足りる。なお二四六列車は松阪駅で口頭で右の行違変更を通告されて同駅を発車している。(細則四〇条一号参照)

又天王寺鉄道管理局では、右の運転整理としての行違変更の指令は運転記録として指令時分、受信時分を記録することになつていない。

第四採時について(運心質疑応答編三五頁参照)

参宮線の快速列車(二四三、二四六列車はいずれも快速)は、一五秒単位で採時され、しかも六捨七入の方法が採られている。これは後記二四三列車脱線てんぷく、これへ二四六列車が進行接触するまでの時隔が採時者の時間のみによつては精確に算出し得ない重要な事由である。右六捨七入によると、採時者の時計の秒針が

五二秒から六秒までの間にあるときは〇秒

七秒から二一秒までの間にあるときは一五秒

二二秒から三六秒までの間にあるときは三〇秒

三七秒から五一秒までの間にあるときは四五秒

として採時される。

例えば、二四三列車が津駅を一七時五七分五〇秒に出発したとすれば、一七時五七分四五秒の定時発車として採時され、五秒の遅延は無視されることになる。

同線の各駅停車列車は三〇秒単位の採時がなされている。これは四五秒から一四秒までは〇秒、一五秒から四四秒までを三〇秒として採時される。

採時は駅(当務駅長)と機関士が、これをすることになつており、通過列車の場合は、機関車の先頭が駅舎中心を通過した時刻をもつてその列車の通過時刻とする。また停車列車は、機関士においては列車が完全に停車した時、発車する場合は列車が動き出した時、駅においては採時者(主として当務駅長)の眼前の客、貨車が動き始めた時、停止した時、をもつてその列車の発着時刻とする。

第五二四三列車について

昭和三一年一〇月一五日当時の二四三列車は、一六時二五分国鉄名古屋駅発、一七時三八分三〇秒関西線亀山駅着、一七時四一分三〇秒同駅発参宮線に入り、鳥羽に至る快速列車である。同列車は平素亀山駅三番線(二番ホーム)に到着し、同駅で機関車のつけ換えをなし、東引上線に待機している機関車に連結され、名古屋からの進行方向とは逆方向で鳥羽に向うのである。この機関車のつけ換えに要する時間は三分程度である。

昭和三一年一〇月一五日は伊勢神宮大祭のため、参宮線の各列車は午前中から大きく乱れ、下り四一九列車が参宮線の各駅で客扱のため遅延し、山田駅(現在伊勢市駅)に八分遅延で到着した。このため四一九列車が山田駅到着後に同駅を発車する上り四二〇列車は、四一九列車の「開通待」(前述のように参宮線は単線であるので閉そくの関係で四一九列車が山田駅に到着しなければ上り四二〇列車は同駅を出発できない関係にある。)のため、九分延で同駅を出発しなければならなかつた。二四三列車は四二〇列車が亀山駅到着後でなければ同駅を発車できない。二四三列車は亀山駅に定刻の二分延の一七時四〇分三〇秒に到着した。当日たまたま同駅における臨時列車並びに二四三列車が長編成の関係から二四三列車の着線は五番線(四番ホーム)であつた。しかもこの日は、つけ換え機関車は同駅七番線に待機していた。(亀山駅の線路の状況は別紙第六図参照)四二〇列車は、同駅六番線に入駅することになつていて、同列車に対する信号はすでに現示されていたので四二〇列車が同駅に入駅するまで右のつけ換え機関車は七番線に待機していなければならなかつた。

四二〇列車の到着と二四三列車の発車時刻の時間間隔が少ない関係から通票折返使用をしていたのであるが二四三列車のつけ換え機関車が四二〇列車の到着前(二四三列車と四二〇列車の到着時間の間隔は八分あつた)に二四三列車に連結されていたならば遅くとも一七時四八分乃至一七時四八分三〇秒までに二四三列車は発車することができたはずである。

四二〇列車は所定時刻より一二分遅延した一七時四七分三〇秒に亀山駅に到着したので、右のつけ換え機関車は、七番線から出て五番線の二四三列車に連結されたが、このため二四三列車は所定時刻より一一分遅延した一七時五二分三〇秒に亀山駅を発車した。

二四三列車につけ換えられた機関車は重連であつてその乗務員は次の通りである。

一  本務機関車機関士は被告人青保雄で、同被告人は昭和一四年一二月に国鉄に入り同一八年七月機関士になり以後亀山機関区管内において一三年の運転経験を有するもの

二  同機関車機関助士は被告人水野幹夫で同被告人は昭和一六年四月に国鉄に入り同一七年九月頃から亀山機関区管内において機関士機関助士として一四年の勤務経験を有するもの

三  次位補機関車機関士は弁論分離前の相被告人赤塚武で、同人は大正一二年五月国鉄に入り昭和一三年一一月機関士となり一七年余の運転経験を有するもの

四  次位補機関車機関助士は本件で死亡した千種一郎(当時二二才)

であつた。

右の本務機関車はC五一・二〇三、次位補機関車はC五一・一〇一であり、いずれの機関車にも何ら異常、故障した個所もなく、二四三列車に連結した時に制動試験をなしたが制動は貫通し異状はなかつた。

二四三列車のような機関車が重連の列車の制動措置は本務機関車がとつた場合にのみ、列車全体に制動がかかるのである。これは補助機関車には重連コツクが設けられていて、このコツクが閉つているため補助機関車が制動をとつても列車全体に制動はかからないようになつているのである。従つて補助機関車が単独で非常制動をとろうとする場合には重連コツクを開放した後非常制動をとれば列車全体に制動がかかることになるのである。二四三列車の編成は次の通りである。

車番

自重(kg)

長さ(m)

機関車

本務

C51―203

20m

次位補

C51―101

客車

1輛目

スハフ42315

3380

2

スロハ38119

3902

3

オハ46671

3200

4

オハ46673

3200

5

オハ35348

3199

6

オハ35260

3090

7

オハフ33393

3416

8

スハ43486

3270

9

オハフ33616

3202

右の一輛目と二輛目の車輛は伊勢方面へ修学旅行に赴く坂戸高等学校並びに土浦女子高等学校の生徒が乗車していた。(本件事故の死亡者の大部分を占める。)

定時ダイヤによる亀山駅から松阪駅までの各駅間の距離、所要時分、通過時刻、停車時刻等は次の通りであり

行違列車

時刻

所要時分

距離

17.41′30″(発)

亀山

6′15″

5.5km

17.47′45″(通)

下之庄

6′

6.6km

17.53′45″(通)

一身田

3′30″

30″停車

3.4km

17.57′15″(着)

17.57′45″(発)

4′30″

3.8km

749列車

18.02′15″(通)

阿漕

3′30″

4.1km

18.05′45″(通)

高茶屋

5′

5.7km

18.10′45″(通)

六軒

5′

5.5km

246列車

1464列車

18.15′45″(着)

松阪

昭和三一年一〇月一五日の二四三列車の実際の運転時刻等は次の通りである。

行違列車及び追越列車

時刻及び遅延時分

17.52′30″発(11′)

亀山

17.58′45″(通)(11′)

下之庄

18.04′15″(通)(10′30″)

一身田

18.07′15″(着)(10′30″)

18.08′30″(発)(10′45″)

下り421列車

18.13′15″(通)(11′)

阿漕

18.16′45″(通)(11′)

高茶屋

六軒

松阪

第六二四六列車について

昭和三一年一〇月一五日当時の二四六列車は、国鉄参宮線鳥羽駅を一七時二八分に発車し、松阪駅着一八時一四分一五秒、亀山駅着一八時五二分亀山からは関西線を経由して名古屋に至る快速列車である。同列車の松阪駅から亀山駅までの停車駅は津駅のみである。

昭和三一年一〇月一五日同列車は鳥羽を定時に発車したが松阪には定刻より二分延の一八時一六分一五秒に到着した。

同列車の編成は重連機関車で、次の通りであるが乗務員として本務機関車機関士は本件事故で死亡した尾崎清春、同機関助士は岡村信夫、次位補機関車機関士は浦田正治、同機関士は松本利三であつた。

右の本務機関車はC五七・一一〇、次位補機関車はC五一・一七二であるが、いずれの機関車にも何ら異常故障した個所もなく、二四六列車に連結して制動試験をしたときも制動が貫通し何ら異常はなかつた。

車番

自重(kg)

長さ(m)

機関車

本務

C57―110

20

次位補

C51―172

客車

1輛目

スハフ4269

3367

2

スハ43102

3380

3

オハ46380

3190

4

スハ43179

3380

5

スロハ38117

3970

6

スハフ42156

3371

7

スハ32345

3130

8

オハ351216

3148

9

オハ35430

3115

10

スハ32430

3270

11

スハフ42142

3450

二四六列車は、松阪駅に二分延で到着したが、同駅における客扱いが少なかつたためもあつてほぼ定刻に近い一八時一七分頃に同駅を発車した。而して同列車の松阪六軒間の所要運転時分は五分三〇秒である。

第七六軒駅について――その二

昭和三一年一〇月一五日当時の六軒駅在籍の職員は予備駅務掛被告人別所力、駅務掛被告人四ツ谷準之助、転てつ手被告人杉山静雄、駅手井田忠生外六名計一〇名で右一〇名の者の同駅における勤務は交番制で、午前八時三〇分より翌日の午前八時三〇分までの一昼夜勤務であり、昭和三一年一〇月一五日同駅の勤務についていた者は被告人別所力、四ツ谷準之助、同杉山静雄、井田忠生の四名であつた。

被告人別所力は、昭和一二年一一月頃国鉄に入り、昭和二九年一二月頃からは同駅に勤務し、予備駅務掛兼助役の地位にあつたが、一〇月一五日は当務駅長として同駅の駅員を統率指揮し同駅に属する一切の業務を掌理処理していたもの、被告人四ツ谷準之助は、昭和一六年八月頃国鉄に入り、昭和二八年四月頃から同駅勤務となり駅務掛兼信号担務として出札、集札、貨物、信号に関する業務に従事していたもの、被告人杉山静雄は、大正一三年五月頃国鉄に入り昭和四年六軒駅々手、昭和一四年頃から同駅において転てつ手として勤務しポイント取扱いの業務に従事していたもの、なお当日勤務していた井田忠生は駅手兼転てつ担務として勤務していたものである。

尚右に担務とは、補助役ともいうべきもので、例えば転てつ手は一〇月一五日に被告人杉山静雄だけであるので、列車行違いの場合に同被告人一人で二個所のポイントを同時に扱うことができないため駅手である転てつ担務の井田も転てつを取扱うことになるのである。

当日はダイヤの乱れから下り一四六七貨物列車は所定一七時四〇分を四分遅延して同駅に到着し、これと行違う上り七四九列車も定刻一七時四一分三〇秒を五分三〇秒遅延して到着し、右一四六七列車は定刻より四分三〇秒遅延した一七時四八分に発車し、七四九列車は定刻より五分三〇秒遅延した一七時四七分三〇秒に発車した。

被告人杉山静雄は、七四九列車が発車できるように二一号ポイントを反位とし同列車が同ポイントを通過後同列車の次の所定ダイヤ上の列車は下り四二一列車であるので同ポイントを定位に復して下り列車が入駅できるような線路状態にして駅舎にもどつた。また転てつ担務の井田忠生は二六号ポイントを反位として一四六七列車が発車できるように同ポイントを扱い、同列車が同ポイントを通過後次の列車は右の四二一列車であるので反位のままとし、下り列車が発車できるような線路状態にして駅舎にもどる途中、上りホームに次の上り通過列車二四六列車のための通票受柱をたてた。(なお昭和三一年一〇月一五日当時、六軒駅では一四六七列車と七四九列車が発車した後は、ポイントを右のようにしておくのが通常であつた。)

被告人別所は七四九、一四六七の各列車が到着後、上下各場内、遠方信号機を定位に、右両列車発車後上り下り出発信号機をそれぞれ定位に復した。

しかしながら、村井列車指令から前叙のような指令を受けた被告人別所は、一七時五五分頃右指令の内容を被告人四ツ谷、同杉山、井田の各駅員に伝達した。右指令から明らかなように次に六軒駅に到着、発車する列車は四二一列車ではなくなつたので、被告人杉山は右の伝達を受けた後、反位になつている二六号ポイントを定位に復位してきた。

一八時五分頃、高茶屋駅の嶋垣助役から二四三列車の閉そくを求めてきたので被告人別所はこれに承認を与え、折返し二四六列車の閉そくの承認を得た。次いでその後間もなく松阪駅沢木運転掛から二四六列車の閉そくを求めてきたので被告人別所はこれに承認を与え折返し二四三列車の閉そくの承認を得た。

この閉そくを受けた時、被告人別所は二四三列車は一一分遅延していることを知り、二四三列車と二四六列車が六軒駅に到着する時刻は時間的に間隔が少ないものと判断し、右の両列車を同駅に入駅せしめて、一たん停車させたうえ、行違いさせることに決意し、上り下りの各場内信号機と遠方信号機を反位とし、それぞれに進行信号を現示した。

一八時一七分頃、高茶屋駅から二四三列車一一分延という通知(現発通知)があり、更にその直後に松阪駅から二四六列車が定時発車した旨の現発通知(閉そく機の電鈴一打運心五四条局問答参照)があつた。

右の二四三列車と二四六列車の現発通知を受けた後、駅舎にいた被告人四ツ谷、同杉山、井田はやがて到着する列車受けに出て行つたのであるが、その途中、井田は被告人別所に命ぜられて下りホームに通票受柱を立てたのである。これは被告人別所が二四三列車が何らかの事情(例えば踏切事故、遅運転等)で二四六列車よりも遅れて到着する場合には、二四三列車を通過させることができると考えたからである。しかし被告人別所は、一応二四三列車が二四六列車よりも先に到着するものと考えて、信号を確認した後、下りホーム北端(駅舎中心より九六メートル附近)に赴き、二四三列車の携帯してくる通票を同所で受取りその後すぐ上りホームで二四六列車に渡すべく待機していた。被告人四ツ谷は別所から信号の取扱いを命ぜられて信号取扱所前附近に待機していた。

被告人杉山は南転てつ手詰所(南箱番)に赴き、二四六列車が入駅し上り場内、遠方信号機が定位になつた後、二四三列車を出駅させるため、二六号イ・ロポイントを反位にすべく同所で待機していた。

井田は北転てつ手詰所に赴き、二四三列車が入駅し、下り場内、遠方信号機が定位となつた後、二四六列車を出発させるため二一号ポイントを反位にすべく同所で待機していた。

右のように、二四三列車、二四六列車の現発通知後、六軒駅に右の両列車が到着する直前の同駅におけるポイント、信号機の状態は、別紙第三図の通りである。

即ち

一  二一号イ・ロポイント定位、二六号イ・ロポイント定位

二  上、下各場内、遠方信号機は反位、上、下各出発、通過信号機は定位であつた。

通票は折返し使用するので、閉そく機からは、高茶屋側、松阪側とも出されていない。

第八罪となるべき事実

一、被告人青保雄、同水野幹夫、弁論分離前の相被告人赤塚武の業務上の注意義務及びその不履行。

1  被告人青保雄は、昭和三一年一〇月一五日、二四三列車を運転し、六軒駅に入駅するに際し、同列車の本務機関車の機関士として、同駅の各信号機の信号現示を注視し、下り通過信号機が注意信号、下り出発信号機が停止信号をそれぞれ現示しているときには、同駅所定の位置に停車の措置をとるべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、下り遠方信号機の進行信号を確認した後、同信号機外方五〇メートル附近の地点を進行の際、同地点からは下り場内、通過両信号機の現示を確認することができたのであるからこれを注視すれば、その信号現示は六軒駅停車を指示するものであることが明らかであるにもかかわらず、これが確認、注視を怠り、本来同列車は同駅通過列車であるところから、信号機は進行信号を現示しているものと速断し、停車措置をとることなく、時速六〇キロ位の速度で同駅を通過しようとして、同駅中心附近通過直後、下り出発信号機が停止信号を現示していることを確認して急拠非常制動の措置をとつた。

2  被告人水野幹夫は、同列車の本務機関車の機関助士として、六軒駅に入駅するに際し、機関助士は、機関士と共に、同駅の各信号機の信号現示を確認し、下り通過信号機が注意信号、下り出発信号機が停止信号をそれぞれ現示しているときはこれを確認して、列車を停車せしめなければならないときに機関士がこれに対する措置をしないか、又は右の信号機の信号現示を見誤つているおそれがあると認められるときは、直ちに機関士にその旨を警告するか、その余裕のないときは、直ちに自ら列車の停止措置をとらなければならない業務上の注意義務があるにもかかわらず、同駅下り場内信号機及び通過信号機の信号現示の確認を怠り、青被告人と、通過進行と形式的な喚呼応答をしたのみで焚火作業通票受渡の準備作業に従事し、同駅中心附近を通過後はじめて出発信号機が停止信号を現示していることに気付き、急拠その旨を被告人青保雄に付して警告した。

3  赤塚武において同列車の補助機関車の機関士として、同列車を運転して六軒駅に入駅するに際し、本務機関士同様信号現示を注視し、本務機関士において信号現示を見誤つたため、列車の停止措置をとらない場合においては、直ちに本務機関士に汽笛合図によつて警告して制動措置をとらしめるか、あるいは自ら重連コツクを開いて非常制動の措置をとるべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、補助機関車機関助士千種一郎の投炭作業が未熟なところから、機関士席を離れ、自ら投炭する等、同人の作業を指導していたため、場内及び通過信号機の信号現示の確認注視を怠り、あまつさえ同駅を通過すべく、給気運転に移り、被告人青保雄同様、同駅中心附近通過後、下り出発信号機が停止信号を現示していることに気付き狼狽して、重連コツクを開いて制動措置を採ることなく単に自動制動弁による停車措置を講じ

二、被告人青保雄、同水野幹夫、赤塚武の過失に因る結果の発生。

右の被告人青保雄、同水野幹夫、赤塚武の過失が競合し、被告人青保雄において、前記の如く非常制動の措置をとつたが及ばず、昭和三一年一〇月一五日一八時二二分頃、二四三列車の機関車二輛を六軒駅下り安全側線車止砂盛を突破して、同駅駅舎中心より南方二九三メートル位の地点の下り安全側線築堤東側に脱線顛覆せしめ、且つ同列車一輛目客車の前部が進行方向に向つて右側に振つたため同駅々舎中心より南方二六六メートル位の地点において本線を支障するに至らしめて上り列車の往来に危険を生ぜしめ、因て二四三列車の補助機関車機関助士千種一郎(当時二二才)を全身火傷によりその場で即死させ及び二四三列車客車前から二輛目に乗車していた野堀英治(当時五一才)に対して全治二〇日を要する頭部打撲傷を負わせ、更にその後間もなく進行してきた二四六列車を右二四三列車一輛目客車と接触させ、二四六列車の機関車二輛を脱線顛覆させたうえ、右二四三列車一輛目客車を破壊押潰して、同列車の一輛目客車に乗車していた安野吉雄(当時一九才)をその場で窒息死させた外別紙甲(一)死亡者一覧表記載の如く四〇名を死に至らしめ、更に同客車に乗車していた縄手瑞穂(当時一八才)に対し全治五ヶ月半を超える顔面、両手、背部、右下肢、左下腿火傷、拇指挫傷の傷害を負わせた外別紙甲(二)負傷者一覧表記載の如く、六四名に対して傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)≪省略≫

【法令の適用】

法律に照すと被告人青保雄、同水野幹夫の各判示所為中業務上過失往来妨害の点は刑法一二九条二項、一項、罰金等臨時措置法二条三条に、業務上過失致死傷の点は刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条三条に該当し、右は一個の行為で数個の罪名にふれる場合であるから刑法五四条一項前段、一〇条を適用し最も重い業務上過失致死罪の刑に従い所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人青保雄を禁錮二年に、被告人水野幹夫を禁錮一年に処し、被告人水野幹夫に対しては犯罪の情状刑の執行を猶予するのを相当と認めるので同法二五条一項に則り三年間右刑の執行を猶予することとし、なお訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但し書を適用し被告人青、同水野にはこれを負担させないこととする。

【被告人青保雄、同水野幹夫の弁護人(以下機関車側弁護人と称する)の主張に対する当裁判所の判断】

第一点 間際指令、途中転換の主張について。

右の点につき、機関車側弁護人は、村井列車指令から六軒駅に対し二四三列車と二四六列車との行違変更指令が発せられたのは一八時一五分頃で、この指令に基き被告人別所は下り出発信号機の反位を定位に転換したが、その時には二四三列車は既に六軒駅に近づいていたので、被告人青、同水野は同列車を六軒駅に停車させることができず下り安全側線に突込み脱線顛覆するに至つた旨主張する。

しかしながら村井列車指令から発せられた二四三、二四六列車行違変更乃至これに関連する運転整理指令の内容、これを受けた関係駅及びその時刻は事実認定欄第三運転整理の項に判示する如くであり、又二四三列車が六軒駅に接近した際の同駅のポイントの進路、上・下列車に対する信号機の信号現示、同駅職員の配置模様も同第七、六軒駅についてその二の項に判示した如くであり、以上の事実と同第二閉そくと通票についての項に判示する如き六軒駅における閉そくの取扱い、ポイントと信号機との間に存する連動装置による密接な関係とを併せ考えるときは、機関車側弁護人主張の間際指令、間際転換の存在は到底これを認めることができない。同弁護人が間際転換の有力な証拠として挙げる証人市場寛一(記録第一一冊第四五回公判調書中)は酒気を帯びて津駅から二四三列車に乗車したもので、その述べるところも不正確で、同人の証言は右主張の証拠となし難く、又上り・下りホームに通票受柱が立てられていたのも事実欄第七に説明した如き経緯によるものであつて、このことは弁護人主張の間際指令の証拠とはなし難く、他に第一点の主張を肯認させるに足る証拠は存在しない。右の主張は採用の限りでない。

第二点 運心三八三条違反の主張について

機関車弁護人は、被告人別所において通過列車である二四六列車に対し七軒駅停車の信号現示をしたことは運心三八三条局問2に違反する信号取扱いで、二四三列車脱線後二四六列車がこれに衝突した事故は全く同被告人の右規定無視によるもので、右の衝突とこれに基因する死傷の結果は全く被告人別所の責に帰すべきもので、機関車側乗務員の与り知らぬところである旨主張する。

右の主張の当否につき検討するのに、

運心三二条一項によれば、安全側線の設けのある停車場においては、二以上の列車の同時入駅が認められている。六軒駅は上・下全側線の設けある停車場であるから、被告人別所が二四三、二四六両列車を六軒駅に臨時停車させる信号機の取扱いをしたことは違法と言うことはできない。

機外停車の点につきなるほど本件事故発生後改められた運心三八三条局問2(以下新局問と略称する)には

通過列車に対する通過信号機を附設する場内信号機の取扱方として

通過列車に対する信号機の取扱方は、場内信号機に信号を現示しておいて、通過準備が完了してから通過列車を通過させるときの信号を現示すること。但し先発列車の遅延等によつて、通過列車を場内信号機外に停止せしめなければならないことが明らかなときは、臨時停止の信号を現示して、特別の場合のほか、場内信号機の外方で列車を停止させて待合せないようにすること。但し、この場合、行違となるときは、この取扱いのほか次によること。

(1) 通過列車と停車列車とが行違となるとき。

通過列車に対しては場内信号機に停止信号を現示しておいて、通過準備完了後、通過列車に対する信号を現示すること。但し停車列車が遅延して通過列車を先に停車場内に進入させることが有利なときは停車列車に対する場内信号機に停止信号を現示しておいて、通過列車を臨時停止の信号機の取扱いにより進入させた後、停車列車に対する場内信号機に進行信号を現示すること。

(2) 行違変更のため、通過列車と通過列車が行違となるとき。

早く接近する列車に対して臨時停止の信号機を現示して停車場に進入させる。一方の列車に対しては、場内信号機に停止信号を現示しておいて、通過準備完了後通過列車に対する信号を現示すること。但し、有効長外けん引、こう配の関係等特別の理由のある場合は、早く接近する列車を場内信号機外に停止させることとしてもよい。

と明示されている。(運転関係達示集運心三八三条の項参照)しかしながら本件事故発生当時の運心三八三条局問2(以下旧局問と略称する)では

通過信号機を附設する場内信号機の設けある場合、通過列車に対する信号機の取扱として

行違の場合、通過列車に対して臨時停車の信号機の取扱をしておくと通過準備ができても臨時停車の信号現示から列車を通過させる信号現示には簡単に変えられないので、行違の場合の通過列車に対する信号機の取扱は、場内信号機に停止信号を現示しておいて、通過準備が完了してから通過列車を通過させるときの信号を現示すること。但し行違列車の遅延時分によつて、通過列車を停車場内に停止させる余裕があるときは、臨時停車の信号を現示して、特別の場合のほか信号機の外方で停止させて待合せないようにすること。

と指示している。

右に掲げる新・旧両局問を比較対照して、注目されることは、新局問においては規定の内容を明確にするため、通過列車と停車列車とが行違になる場合と、通過列車と通過列車とが行違変更のため行違となるときを分け、しかも後者の通過列車と通過列車との行違いの場合にはその本文、但し書いずれの場合にも、必ずその一方を場内信号機外方に停車せしむることを命じているのに反して、旧局問においては、行違いの場合の通過列車に対する信号機の取扱いとあつて、新局問ほど細かく場合を分けて規定されていないのみか、その本文においては、場内信号機に停止信号を現示して場内信号機外に停止せしむべきことを命じ、この原則に対し但し書において、通過列車を臨時停車せしめる例外の場合があり得るとし、それは通過列車を停車場内に停止させる余裕のあるときであるとし、しかも斯る場合には特別の場合の外場内信号機外方に待合わすべきではないとする。(運転取扱細則三八三条の項参照)即ち新旧局問の間には通過列車と通過列車との行違いの場合の信号機の取扱いについて大きな相違の存することが明らかである。ところで旧局問但し書において、通過列車を停車場内に停止させる余裕のあるときとは通過列車を通過させる余裕がない時の意である。

以上の観点から被告人別所の二四六列車に対する信号機の取扱いが旧局問に違反するや否やを検討してみると、

二四三列車高茶屋一一分延で通過、従つて六軒駅々舎中心にさしかかる時刻は一八時二一分四五秒頃となる。二四六列車松阪定時発車、従つて六軒駅々舎中心にさしかかる時刻は一八時二二分三〇秒頃となる。その時隔は四五秒位に過ぎない。この僅少の時間内に下り場内信号機の復位、下りホームから上りホームに移り二四三列車の携帯して来た通票を上りホーム北端の通票授柱に装てんし、二一号ポイントを反位に転換した上、上り列車を通過させる信号を現示する作業を終えることは困難であると謂わなければならない。

更に二四六列車を上り場内信号機外方五〇メートルの地点(以下この地点をA点と呼ぶ)に停止させるとすれば(運心三二八条)

一、A点から小津避溢橋北詰までは一六・三五メートル

二、A点から三渡川鉄橋北詰までは一四三・七五メートル

三、A点から右鉄橋南詰までは二二七・二三メートル

であるから、列車の長さ二六〇メートルの二四六列車は、その前部は三渡川鉄橋北詰から小津避溢橋にかけて下り傾斜、その後部は右鉄橋南詰に向つて上り傾斜の形をとつて小津橋三渡川鉄橋を跨いで停止することになる。このような停車方法は明らかに不適当であるから特段の事由のない限り、斯る停車方法を回避すべきは何人も異論のないところであろう。

以上の説明からみて被告人別所の二四六列車に対する信号機の取扱いは適法妥当なもので、何等非難さるべきものでないこと明らかである。

なお機関車側弁護人の第二点の主張に関連して機関車側被告人の責任の範囲につき一言附加すれば、二四三列車の脱線が判示の如く機関車側乗務員の過失に基因するものでありその後起きた上・下列車の接触、これによる多数死傷者の発生が、通常右過失の結果として予測されるところのものであるから(さればこそ運心三八三条新局問2の(2)が天王寺鉄道管理局管内一一動力車区長の要望により設けられたのであり、這般の消息は記録第一一冊証人国枝静夫の証言に詳らかである)、右過失と右死傷との間には法律上の因果の関係が存し、従つて機関車側被告人はその結果に対し責任を免れることはできない。

機関車側弁護人の第二点についての主張も又理由のないものとして排斥を免れない。

【被告人別所力、同四ツ谷準之助、同杉山静雄(以上駅側被告人と称する)の責任について】

検察官は

被告人別所力は、日本国有鉄道天王寺鉄道管理局管内参宮線六軒駅の予備駅務掛兼助役として駅務掛の業務並に助役として駅長を補佐し、駅長に事故その他差支えある場合は、これを代理し、当務駅長として所属員を指揮監督すると共に、駅に属する一切の業務を掌理すべき業務に、同四ツ谷準之助は、六軒駅駅務掛としてその業務並に信号担務として信号機の取扱いにも従事し、被告人杉山静雄は六軒駅転てつ手として転てつ機の転換業務に従事し、いずれも国鉄職員として多数の生命を託され、その安全の確保のためには一致協力し、万全の注意を以て危険を避ける手段をとらなければならない業務上の注意義務を有するものであるが、昭和三一年一〇月一五日二四三列車は、本来松阪駅において二四六列車と行違うべきものなるところ、二四三列車は亀山駅を定刻一七時四一分三〇秒を一〇分三〇秒遅延した一七時五二分に発車したため、天王寺鉄道管理局列車指令村井一夫から、二四三列車と二四六列車は六軒駅において行違うよう、行違変更指令が出され、当日六軒駅当務駅長として勤務していた被告人別所は右指令を受けるや、行違時間が僅少であるところから、右両列車とも六軒駅にて停車のうえ、行違せしめることとし、その旨被告人四ツ谷、同杉山及び六軒駅駅手井田忠生に指示し、自ら上・下線の遠方信号機の現示を緑色、場内信号機の現示を緑色、通過信号機の現示を橙黄色、出発信号機の現示を赤色としたうえ、被告人杉山をして両列車が入駅停車した暁二六号イ・ロポイントを反位にして二四三列車を出発せしめるべく同駅南方所在二六号ロポイントの勤務位置に、被告人四ツ谷をして両列車停車の暁上・下線出発信号機の信号を進行現示に切替える等の操作をなさしめる為、駅舎信号扱所前の勤務位置に配置し、更に自らは、二四三列車の本務機関助士たる被告人水野から通票を受取るべく、下りホーム北端より南方約一四メートルの地点に立ち、それぞれ二四三、二四六両列車行違いの態勢を整え、これが入駅を待機していたものであるが、その頃下り二四三列車の本務機関車の機関士青保雄において、六軒駅入駅にあたり機関士は常に信号現示を注視し、これに従つて列車を運転すべき業務上の注務義務があるのであるから当然右各信号現示を注視し、同駅所定の位置に停車の措置をとるべきにもかかわらず、下り遠方信号機外方五〇メートル附近で場内及び通過両信号の現示をべつ見したのみで、これが注視を怠り本来は同駅通過列車であるところから漫然進行信号であると速断し、停車措置を採ることなく時速六〇余キロメートルの速力で同駅を通過せんとし、駅中央附近通過直後、出発信号機の信号現示が停止信号であることに気付き、急拠非常制動の措置を採つたが間に合わず、下り安全側線車止めを突破して同日一八時二一分四八秒頃機関車二輛を同駅舎中心より南方三〇〇メートルの地点の田圃中に脱線てんぷくせしめ、且つ一輛目の客車を本線上に脱線乗上げしめ、二四三列車本務機関車の機関助士被告人水野幹夫において、機関助士は機関士と共に信号現示を確認し、列車を停止せしめなければならない時、機関士がこれに対する手配をしないか又はこれを誤るおそれのあることを認めたときは、直ちに機関士にその旨警告するか、その暇のないときは、自ら列車の停車措置を講じなければならない業務上の注意義務があるにかかわらず、右六軒駅の入駅にあたり焚火作業に従事するまま前記場内及び通過信号機の信号現示の確認を怠り機関士青保雄に警告を発することなく同人同様駅舎中央附近通過後漸く出発信号現示が停止信号であることに気付き、急拠その旨を青機関士に告げたが間に合わず、前記の如く脱線顛覆せしめ、二四三列車補助機関車の機関士赤塚武において、補助機関車の機関士も本務機関車の機関士と同様、信号現示を注視し、本務機関士と互に協力して列車を運転すべく、若し列車を急拠停止しなければならない時本務機関士がこれに対する手配をしないか、又はこれを誤るおそれのあることを認めたときは直ちに本務機関士に汽笛合図によつて警告を与え、制動措置を採らしめるか或は自ら重連コツクを開き非常制動の措置を講ずべき業務上の注意義務があるにかかわらず、六軒駅入駅にあたり偶々同乗の機関助士千種一郎の投炭作業が未熟なところから運転席を離れ、自ら投炭する等機関助士の作業を援助するままに場内及び通過両信号機の信号現示の注視を怠り、却つて二四三列車を六軒駅通過扱いにすべく給気運転に移り青保雄機関士同様、駅舎中央附近通過後、出発信号機の信号現示が停止信号であることに気付き、周章狼狽の余り単に自動制動弁による停車措置を講じたるに止りたるため間に合わず前記の如く脱線顛覆せしめたのであるが、

一、被告人別所は、前記の如く待機して二四三列車を迎えたが、二四三列車は前敍の通り本来の行違い駅を臨時に変更せられたのであるから、これが入駅には特に細心の注意を払い万一列車が臨時停車を通過と誤解している如き気配あらば直ちにこれに気付くと共に、そのまま進行せば下り安全側線に突入した土砂盛をも突破して脱線顛覆し、しかも当該安全側線は本線と並行してその間隔僅か二メートル九〇に過ぎないのであるから、本線上にも支障を来たすことを予測し、従つてやがて入駅し来る二四六列車との衝突等の危険から防止する為直ちに臨機の措置をとり、列車衝突の危険を防止すべき業務上の注意義務があるところ、被告人水野より手渡さるべき予定の通票が手渡さるることなく、且つ通過列車同様の速力で自己の直前を通過して停車の気配もなく、しかも二四六列車が二四三列車脱線顛覆地点に進行し来るまで一分間余の余裕があり、従つて二四六列車は上り遠方信号機外方七五六メートル余の地点にあつたのであるから二四三列車の通過状況から判断して直ちにこれが安全側線に突入し、前記の如き危険の生ずることあるべきを予測し、急拠同ホーム上の信号扱所に勤務していた被告人四ツ谷に対し上り遠方及び場内の両信号機の信号現示を停止信号現示に切替えせしめるよう指示するか、又は自ら信号扱所にかけつけてその操作をなし二四六列車をして非常制動の措置を講ぜしめ、衝突の危険を未然に防止すべきにかかわらず、漫然二四三列車を見送るに止め、右非常措置を採らざりしため、前記の如く本線上に乗り上げた下り一輛目客車に二四六列車を衝突顛覆せしめて同客車を押潰すに至らしめ、

二、被告人四ツ谷は、前記の如く信号扱所附近にて下り二四三列車の入駅を待期していたのであるが、被告人別所同様万一同列車が停車を通過と誤解しているが如き気配あらば、直ちにこれに気付くと共に、そのまま進行せば、前記の如く土砂盛を突破して脱線顛覆し本線上にも支障を来たすことを予測し、従つてやがて入駅し来る二四六列車に累を及ぼさざるようこれを防止するため臨機の措置を採るべき業務上の注意義務があるところ、二四三列車が通過列車の速力で自己の直前を通過し、且つ目前にある通票受機に被告人水野から通過列車同様通票が投げ掛けられて停車の気配もなく、しかも二四六列車が二四三列車脱線顛覆の地点に進行し来るまで約五〇余秒の時分があり、従つて二四六列車は上り遠方信号機外方約五六〇メートル余の地点にあつたのであるから右通過状況からみて直ちに前記の如き危険を予測し、急拠上り遠方及び場内信号機の信号現示を停止信号に切り替えるべき措置を講じ、二四六列車の事故を未然に防止すべきにかかわらず漫然二四三列車を見送るに止め、これが非常措置を採らざりしため前記の如く二四六列車を衝突顛覆せしめて二四三列車の客車を押潰すに至らしめ、

三、被告人杉山は、駅南方二六号ロポイント附近の勤務位置に佇立していたのであるが、自己の直前で二四三列車が安全側線車止めを突破し、脱線顛覆の上、その客車一輛が本線上に乗り上げたのを目撃し且つ二四六列車がやがて進行し来ることをも知り居り、しかも右脱線顛覆より二四六列車が現場にさしかかるまで四〇秒位の時間があつたのであるから、右目撃と同時に所携の合図灯を白色から赤色に切り替え、二四六列車に対しこれを振廻して同列車に危険を知らせ急停車の措置をとらしめ、右衝突を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにかかわらず周章狼狽の余り、こと茲に出でざりし為、二四六列車を前記の如く脱線顛覆せしめて二四三列車の客車を押潰すに至らしめ

右被告人青、同水野、赤塚、被告人別所、同四ツ谷、同杉山の前記の如き過失の競合により前記押潰された二四三列車の一輛目の客車に乗車していた坂戸高校生安野吉雄をその場で窒息死せしめた外別紙甲(一)死亡者一覧表記載の如く四〇名を死に至らしめ更に縄手瑞穂に対し顔面、両手、背中等に全治三ヶ月位を要する火傷を与えた外別紙乙負傷者一覧表記載の六五名に対し同表記載の如き傷害を負わせたものである。

として駅側被告人の過失責任の存在を主張するので、以下に当裁判所の判断を示す。

検察官は先ず裁側被告人の業務上の注意義務として

国鉄職員たる被告人等六軒駅々員は多数の生命財産を託され一旦事故発生せんか多数の生命財産に対しはかり知れない危害を及ぼす高度の危険性を内蔵する高速度交通機関たる日本国有鉄道の列車運行の一翼を担なう業務に従事するものであるから、その多数乗客の安全確保のためには一致協力し万全の注意をもつてその職務に当るべき義務のあることは論をまたないところである。特に本件下り第二四三列車は所定ダイヤ上、本来六軒駅を通過する列車である処、偶々同列車遅延のため上り二四六列車との行違い駅が松阪駅から六軒駅に臨時変更さそ、その結果右第二四三列車は六軒駅に臨時に停車することとなつたものであり、第二四三列車乗務員は本来の通過駅である六軒駅に臨停することに変更された事実は隣駅等においては予め通告されず、同駅下り線に設置された信号機の臨停の信号現示を現認するまでは同駅を通過するものとして進行し来る。加えて機関士、機関助士等は列車の入駅に当つては通票事務、速度制限、対人的注意等種々の作業を有しているため本来の通過駅なるが故の安易さから本件の如く右信号現示に対する注視、確認義務を怠り、同駅に臨停せず通過せんとする危険な可能性も存在する。その上、本件においては同列車の一方通行ではなく同列車と行違いすべく上り第二四六列車が進行し来るのであり、且つ右両列車の六軒駅到着の時間的間隔の僅少であることも高茶屋駅、松阪駅よりの閉塞合図及び現発通知(高茶屋駅から一一分延通松阪駅からは定時発車と被告人別所に通知されている)により同駅々員の十分認識するところであつた。

従つて右の如く第二四三列車が同駅下り信号機に対する注視を怠り、所定のダイヤの如く同駅を通過せんとすれば同列車のみならず上り第二四六列車に対しても重大なる危害を与えることは明白であるから、かかる状況下に右両列車の入駅を待機する被告人別所、同四ツ谷、同杉山等六軒駅々員としては第二四三列車の進行動向を第二四六列車の進行予定との関連において特に細心の注意を払い厳格に注意し、仮りに第二四三列車が同駅に臨停すべきことを気付かず所定ダイヤ通り同駅を通過せんとするが如き気配を認めたときには右列車の安全を確保すべき処置を講ずべく直ちに敏速適確なる行動を採る配慮をもつて入駅を待期すべき業務上の注意義務が課せられているのである。右義務の存在することは安全の確保を輸送業務における最大使命とする国鉄の列車運行の一翼を担なう者には条理上当然のところであると共に、国鉄職員にその遵守を命じている「安全の確保に関する規程」第三条、第六条及び同綱領各号によつて十分認めうるところである

と論ずる。

凡そ専門的知識、技能を要する業務に従事するものは、その業務遂行上必要とする最低の知識と技能とを具備することを前提とする。高度の危険性を内蔵する高速度交通機関である国鉄の列車運行の業務に従事する本件被告人(機関車側駅側ともに)ついても然りである。しかも列車運行に関する業務内容は複雑多岐で、それ等はいくつかの担当部門に分たれているが、それ等の部門はいずれも自らの知識、技能については勿論、他の部門の知識、技能についても信頼を依せ、この相互信頼に依拠して初めて列車の円滑なる運行が期待できるのである。検察官の挙示する安全の確保に関する規定もこの前提に立つものであること、これを通読すれば容易に理解し得るところである。

駅側被告人は当務駅長別所の統率のもと上、下列車を六軒駅に臨時停車せしめる措置をとり、上、下列車の入駅を待ち受けたことは事実欄第七、六軒駅その二に判示した通りである。機関車乗務員は信号の指示するところに従い列車を運行せしむべく、これは列車運転業務に従事する者の遵守すべき第一課である。駅側職員はこのことを当然の前提として信号機を取扱う。而して駅側被告人がなした信号機の取扱いが適法妥当なものであることは既に機関車側弁護人の主張に対する判断で説明した通りである。進路は安全側線に開通しているのである。安全側線は停車場内で二以上の列車又は車輛が同時に進入又は進出するとき過走して衝突等の事故の生ずることを防止するために設置された側線である(運心二条別表参照)。従つて機関車乗務員において当然に要求される信号の指示に従い列車を運転するならば何等の危険も存しない。又何等の事故も発生しないのである。受入側の駅としては上、下列車を入駅せしむるについての安全な措置を採つているのである。この外殊更に「二四三列車の進行動向を二四六列車の進行予定との関連において特に細心の注意を払い厳格に注意し、二四三列車が六軒駅を通過する如き気配を認めたならば、同列車の安全を確保すべき処置を講ずべく直ちに敏速適確なる行動を採る配慮をもつて入駅を待機すべき業務上の注意義務」を駅側被告人に求める検察官の主張は、駅側職員に対し難きを求めるものである。かの災害時、道床、軌条等が浸され、列車運行に危険を来す虞のある異常の場合等は格別、通常の業務遂行の過程においては規定の確実なる遵守ある限り安全は自ら確保されるのであつて列車行違変更の場合もその例外ではない。通過列車の行違駅変更は決して稀有な事例ではなく、現に被告人青は本件の場合の外二回も六軒駅における行違変更の経験を有しているのである((同人検察官第二回調書(三一・一〇・二三)三項(記録第一二冊の一)))。この程度の列車扱いのために、駅側職員に対し検察官主張の如き特別の注意義務を求めるとすれば駅側業務の渋滞を来し又一面検察官のこの主張は、機関車乗務員は一般に当然遵守さるべき信号確認をすら怠り易きものなりとの駅側職員の機関車乗務員に対する不信感を前提とする議論であつて、かくてはさきに述べた相互信頼に依拠する列車運転業務の円滑なる遂行は到底望み得べくもないであろう。勿論当裁判所も国鉄職員が安全確保のため職責をこえて一致協力しなければならぬことには異論はない。しかしこのことから検察官の、駅側被告人には上、下列車入駅待機にあたりその主張の如き特別の注意義務ありとし、同被告人にその不履行ありとする趣旨の前記の主張には与することができない。当裁判所は上、下列車入駅待機についての駅側職員の態度には何等欠けるところがないと判断する。

次に、駅側被告人の責任の有無の判断に入るに先立ち、二四三列車の脱線顛覆とこれに二四六列車が接触するまでに存した時隔についての当裁判所の判断を示す。時隔については検察官は三一秒と主張するに対し、駅側弁護人は八秒と主張し両者の主張の間には甚しい距離がある。

【検察官の主張】

一、1 下り二四三列車が車止終端を突破した時刻は一八時二一分四七秒、そして機関車二輛が脱線顛覆し完全に停止した時刻は一八時二一分五五秒以前と認むるを正当と思料する。

けだし

(一)  同列車が隣駅である高茶屋駅中心を通過した時刻は所定一八時五分四五秒より一一分延の一八時一六分四五秒である。右事実は証第四号(列車運転状況表)、高茶屋駅助役嶋垣富三郎の証言及び被告人青保雄、同水野幹夫の公判廷における供述、検察官調書によつて認められこれに反する証拠はない。

(二)  次に高茶屋、六軒間の所定運転所要時分は各証拠に明らかな如く五分であるから、回復運転という事実を度外視し一一分延のまま六軒駅中心に至つたと仮定すれば、同列車の六軒駅中心通過時刻は一八時二一分四五秒と一応計算されるのであるが、しかし、同列車の回復運転についてみると、被告人青保雄は昭和三七年三月六日の公判廷の供述及び第九回検察官調書において

高茶屋駅を一一分延通したが、高茶屋、六軒間で一五秒回復したので六軒駅中心通過時分は所定より一〇分四五秒延の一八時二一分三〇秒であつた。この採時は通過列車の場合どこの駅でも最遠ポイントで確定する訳で、いつも運転しているので駅中心まで何秒位で走るか判るので、この日も二一号ポイントで時計をみて駅中心が一〇分四五秒延と算定したのである。

旨一貫して供述している。

又被告人水野幹夫も

阿漕駅を一一分延通してから六軒駅で事故を起す迄回復運転につとめたので、六軒迄には運転時間を短縮した事は間違いない。このように回復運転した事実は

(1) ブラストの音が大きかつたこと

(2) 何時もより給気運転時間が長かつたこと

(3) 投炭量が何時もより多かつたこと

(4) 罐水の量が何時もより減つたこと

(5) 火室内の通風が強かつたこと

等により助士の私としてよく判つている

旨の供述、並びに赤塚武の検察官調書における「六軒駅は定刻より一〇分四五秒の遅延であつた。従つて同駅々舎前を通過したのは一八時二一分三〇秒頃であつたことが想定される」旨の供述を併せ考えれば同列車は高茶屋、六軒間で遅延を一五秒回復し、両駅間を四分四五秒で走行した事実、而して六軒駅中心通過時刻は所定より一〇分四五秒延の一八時二一分三〇秒である事実が優に認められるのであつて、これに反する直接証拠は存在しないのである。即ち同列車の同駅中心通過時分は一八時二一分三〇秒である。

(三)  次に同列車の脱線顛覆時刻等を算定する。

同駅中心から第二四三列車が脱線顛覆して完全に停止するに至るまでの距離関係を図示すれば次の通りである。(沖島喜八作成の昭和三一年一二月二〇日付鑑定書参照)

(注) A点は同駅中心、B点は同列車の制動開始地点、C点は車止始端地点、D点は車止終端地点、E点は同列車の機関車前頭部が完全に停止した地点

AC間は約二四四米、CD間は三〇米、DE間は三〇米

而して右鑑定書及び沖島喜八の証言(昭和三七年七月三〇日)によれば、BC間の距離は時速六〇粁乃至六二粁の場合同鑑定書適用計算式(2)によれば一〇五米乃至一一六米と算定され、従つてAB間の距離は一三九米乃至一二八米と算定され、且つ各地点における同列車の速度はAB地点で時速六〇乃至六二粁、C地点で時速四七・五粁、D地点で二七・五粁、E地点で零と認められるのであるから、右基礎の許に右鑑定書添付第一、第二図の減速カーブを勘案して走行時分を計算すれば

AC間は 一五秒

CD間は 二・八秒

DE間は 七・四秒

と認定される。即ちAC間一五秒、AD間一七・八秒、AE間二五・二秒である。従つてC地点即ち同駅下り安全側線車止始端突入時刻は一八時二一分四五秒であり、D地点即ち同車止終端突破時刻は一八時二一分四七秒であり、E地点即ち同列車の機関車前頭が完全停止時刻は一八時二一分五五秒である。右時刻の正当性は同列車々掌である証人水谷藤夫の同列車が右の如くして停車した後一〇秒位して官給品の時計を確認した処未だ一八時二一分台であることを判然確認している旨の証言(第三三回公判)によつても右列車が脱線顛覆して停止した時刻は遅くとも一八時二一分五〇秒頃であることが十分認定されるのである。尚、証人野村正義は右列車の脱線顛覆時分につき一八時二一分五九秒から一八時二二分二九秒の間と思われる旨証言(第七一回公判)するが、同人は天鉄局列車課長として本件後自己の部下が関係者から事情を聴取し、その結果を部下がまとめて作成した一見解の発表であつて、自己が直接経験した事実についての証言ではなくこれが伝聞に属し反対尋問においてもその算定根拠についての答弁説明がなされ得ず、従つてその結論の当否も判断し得ず、且つ右時分計算には同列車の高茶屋、六軒間の一五秒回復運転した事実を計算に加味していないものであるから(同証言六四丁)同証言における右結論は正当と認め得ず従つてこれに証拠能力及び証拠価値はないものと思料する。

2、上り二四六列車の衝突時分は一八時二二分二六秒と認むるを正当と思料する。けだし、

(一)  同列車が隣駅である松阪駅を発車した時分は一八時一七分一〇秒である。この事実は同列車補機機関士浦田正治、同機関助士松本利三、同列車々掌前川順一の各証言によつてこれを認定し得る。即ち、証人浦田正治の

上り二四六列車の松阪駅発は所定で一八時一七分だが、当日は一〇秒遅れて一八時一七分一〇秒に発車した。この発車時刻は私の持つていた正確な時計で採時したもので判然していて間違いはない。この採時は松阪駅の発車合図のブザーが鳴り、助士に「発車」といいそれから汽笛を鳴らし動かしはじめるのであるが、右採時は私自身が列車が動いた瞬間にパツと時計をみて時刻を確定したもので、ブザーが鳴つたときの時刻でなく現実に動き始めたときの時刻である。

旨の証言(第三二回公判)及び検察官調書(第七一回公判証拠調済)並びに証人松本利三の

上り二四六列車の松阪駅発車は所定より一〇秒位遅れて発車した。この一〇秒延ということは実際に採時した浦田機関士から発車のときに一〇秒延と聞かされた。そこで細則(二〇四条)で決められている通り私も一〇秒延と応答した

旨の証言(第三六回、第三七回公判)並びに前川順一の「二四六列車が松阪駅を何秒延発したか私は採時していないので分らないが定刻より遅れて発車したことを記憶する。」旨の証言(第三七回公判)を総合すれば、同列車が松阪駅を発車した時刻は所定より一〇秒延の一八時一七分一〇秒であると認めるに十分である。

処で松阪駅助役中井源一は同列車の同駅発車時刻を自己が採時したところ一八時一七分五秒(即ち所定より五秒延発)であつた旨証言(第一九回公判)し、又同駅信号掛西川貞三は自己の時計でみたところでは一八時一七分四秒(即ち所定より四秒延発)であつた旨証言(第二三回公判)し第二四六列車乗務員の採時との間に差異がある。しかし、右中井と西川との採時はそれ自体にも若干の喰違いのある事実、浦田、松本は一〇秒延発の喚呼応答をしており、これに特段の正確性が認められる事実、及び中井源一の証言における「列車は発車合図のブザーが鳴り終つてから発車する(証言七五項)。当日ブザーは一八時一七分丁度に私が鳴らし始めた。」旨の証言をみると一八時一七分丁度にブザーが鳴り始め、その五秒後には既に右列車が動き始めたことになり、その五秒の間にブザーが鳴り終り、汽笛を吹鳴して動き出したことになり、あまりにも短時分に失して不当である事実(尚ブザーが鳴り終らねば発車出来ないという定めはないが、ブザーが鳴り終つてから発車することが常であることは各証拠により又、我々の常々経験するところである。)、その上、中根秀夫の「採時で機関士と駅側間に時刻が違う場合があるが、機関士は列車がきちんと止つたときに採時しますから採時は機関士の方が正確である。発車の場合も同様機関士は正確に採時しており、機関士の採時の方が正確だと思つている」旨の証言(第三一回公判)、脇海道増雄の検察官調書(第五回公判証拠調済)における「採時で機関士と駅側で異るとのことを耳にするが、その異る理由は、機関士は発車で起動し駅側は発車合図のブザーを押したときを以つて採時するので異るのではないかと思う」旨の供述、及び野村正義の「本件では駅の採時はつじつまが合わず、機関車乗務員の採時の方がむしろ比較的信用性が高いと考える」旨の証言、並びに中井源一の証言と検察官調書との喰違い等を総合すれば、松阪駅発車時刻についての証言は浦田、松本証言に高度の信用性が存するものと認められ、従つて同駅発車時分は一八時一七分一〇秒であると認定するに十分である。

(二)  次に右の如くして松阪駅を発車した同列車が下り二四三列車一輛目客車に衝突した時刻を証拠によつて認定する。この点につき浦田正治は

本件第二四六列車の各地点速度と私の採時した時分を言うと船江踏切で発車後二分四〇秒位、速度は七二粁、近鉄ガード下で発車後四分二〇秒位、速度は七二乃至七五粁位であつた。そして三渡川鉄橋上では六十粁位に落ちたように感じた。こうして六軒駅に進入する態勢を整えた訳であるが、その間、松阪駅一〇秒延発車は回復していない。この列車の衝突した時分を推定すると右の通り近鉄ガード下で発車四分二〇秒位であり、それから三渡川鉄橋南詰まで約七〇〇米位あるとして平均七〇粁の速度で三六秒、更に三渡川鉄橋南詰から現場まで六〇粁の速度で換算すると二〇秒位になる。従つて現場における時分は一八時二二分二六秒になる。

旨供述する(検察官調書)。この供述は小林貞二の検察官調書(第五回公判証拠調済)における供述にも符合すると共に右浦田正治は同列車を機関士としてその責任の下に運行し、採時、速度等に対し深甚なる注意を払つていたのであるから右衝突時分が一八時二二分二六秒との時分についての供述は十分信用するに足るものと断定することが出来る。

又一方、松阪、六軒間の所定運転所要時分は五分三〇秒(同列車が松阪駅発車後、六軒駅中心を列車の先頭が通過する時分)である。この所定運転時分で走行したとすれば、同列車の六軒駅中心を通過する時刻は一八時二二分四〇秒となる。

しかし、本件衝突現場は駅中心より手前二四八米位の地点であることが認められる(司法警察員作成の実況見分調書)のであるから、通過制限速度六〇粁を基準にこれを逆算すると六軒駅中心を右の如く通過する時分から一四乃至一五秒前に事故現場にさしかかつていること、即ち一八時二二分二五秒乃至二六秒に衝突していることとなる。

右計算は同列車が何等制動措置を講ずることなしに衝突したとの前提で計算したのであるが、右浦田正治の証言及び検察官調書並びに築山季雄の証言によれば、右衝突の際第二四六列車は制動措置が講ぜられていた高速ではなかつたことが認められるのであるから、これを併せ考えればその衝突時刻は右計算より若干遅れるものとみるのが相当である。

右の通りその何れの方法をもつてしても衝突時分は一致するのであつて、これを総合判断すれば第二四六列車の衝突時分は一八時二二分二六秒以後と認められる。尚証人野村正義は右列車の衝突時分につき「一八時二二分一五秒から一八時二二分二九秒の間と思われる」旨巾をもたせた証言をするが、右証言も既に詳述したと同様の理由によつて証拠価値はなく、採用に値しないものと思料する。

従つて同証人の二四三列車脱線顛覆から第二四六列車衝突迄の時隔についての証言にも証拠価値はない。

3 右1、及び2、の計算により、時隔は

(一)  第二四三列車の車止始端突入から第二四六列車衝突迄の時隔

四一秒(18.22.26-18.21.45=41秒)

(二)  第二四三列車の車止終端突破から第二四六列車衝突迄の時隔

三九秒(18.22.26-18.21.47=39秒)

(三)  第二四三列車脱線顛覆して完全に停止してから第二四六列車衝突迄の時隔

三一秒(18.22.26-18.21.55=31秒)

と認定される。

4 右の如く1、乃至3で算出された時隔に合理性が存し、正当である事実は駅側、機関車側被告人或いは目撃者、乗客等の体験感覚等にも合致するものであつて、その正確性は優に立証し得るところであると主張し、

これに対し駅側弁護人は二四三列車脱線顛覆から二四六列車接触までの時隔は八秒に過ぎないと主張すること前記の如くであり、検察官の主張に左の如く反論する。即ち

一、下り二四三列車の回復運転は真実にあつたか。

1、下り二四三列車が高茶屋駅を通過した時刻の相違の有無、この点検事論告も被告側冒頭陳述の主張も同駅一一分延で通過した事実は同一である。

2、高茶屋、六軒間の基準運転時分が五分、この点も両者同一である。従つて回復運転と云うことを除外すれば六軒駅中心通過時分一八時二一分四五秒となり、この点も勿論両者同一である。然し検察官は高茶屋、六軒間で一五秒回復運転したから右六軒駅舎中心通過は一八時二一分四五秒から一五秒引いた一八時二一分三〇秒となり、被告側は回復運転をなさずと主張するからここに一五秒の差が出て来る。従つて高茶屋、六軒間で一五秒回復されたか否かとの問題になる。この点について検察官は被告人青保雄、水野幹夫、赤塚武の供述を証拠としてあげている。先ず回復運転をなしたと積極的に主張する被告人青、水野、赤塚は時隔の点について、殊更に多くの時間を主張する疑いがあつたことは審理の過程で明らかであるので信憑性に疑問をはさむ、この疑問を裏付するように、右青等各被告人の回を追うて述べた検察官調書を対比すると多くの矛盾があり、またこの三名間に於ても多くの喰い違いが存するのである。順を追つてこの点を明らかにする。

(一) 青保雄検察官調書について、

先ず青保雄の検察官調書であるが、この調書のうち六軒駅通過の時刻を陳述している調書は五回あるがこの五回ともその内容は違つた供述をしている。

その供述も一〇月一五日の事故発生当時の調書は一一分延を認めているが日を経るに従つて徐々に回復運転がなされたと供述が変化してきている。この供述はいずれも根拠のないことで計算も成立しない。

(1) 第二回検察官調書(三一、一〇、二三)に於いて「六軒駅へはいるまでは大体一一分遅れのまま進入したように記憶しています。つまり六軒駅では一一分遅延したことになるのであります」と供述して六軒駅での一一分を認めている。

(2) その翌日の第三回検察官調書で「その時には何分位い遅延時間を回復したかと云うことのみ気をとられて時計を見たりして出発信号機を確認しないで場内信号機附近を通過して進行してしまいました。そのとき私の時計では一〇分四〇秒遅延であつたことを記憶しています」と供述している。

(3) 第五回検察官調書(三一、一一、二)では「さきに六軒駅場内信号機附近を通過したときに私の時計では一〇分四〇秒遅れであつたことを記憶していると申しましたが(第三回検察官調書)正確には下り最遠ポイント通過のとき時計を見たもので、その時には一〇分四五秒の遅延になつておりました。さきに提出した表は六軒駅の遅延時分を一一分と書いておきましたが、最遠ポイントから駅長室前迄に三秒位いかかると思いますので正確にはそこでは一〇分四八秒位いでなかろうかと思つています」と供述している。

(4) 第六回検察官調書(三一、一一、五)では「駅長事務室前に於いて一〇分五六秒位遅延していたことになります」と供述している。

(5) 第九回検察官調書(三二、一、一七)では「つまり駅舎中心前通過のとき一〇分四五秒遅れていることを申上げたのです」と供述し一五秒の回復運転が形づくられるに至つた。

本件起訴時日たる昭和三二年一月三一日に最も接近したこの供述は検察官の起訴に相当有力な資料となつたものと察知される。

(6) 第五回検察官調書(三一、一一、二)には「事故当時の私の乗務日誌には……六軒駅では一一分延通と書いておきました」と供述している。

採時の原則は各停列車が三〇秒単位、快速列車以上が一五秒単位であることは裁判関係者に既に周知のことであり、青本人もまた右調書にこのことを述べているにも係らず乗務日誌について述べた同じ調書(前述(3)の項参照)で遅れは一〇分四五秒乃至一〇分四八秒と陳述しながら採時の原則に反し、「一〇分四五秒延通」とは記載せず「一一分延通」と記載しているのである。これは少くとも一〇分五二秒以上(六捨七入)の延通を意味するものである。

この乗務日誌には被告青が事故の当日久居署で記入している事実も供述しているので真実を書いたものと断定すべきである。

以上被告青保雄の供述の矛盾を指摘したが毎回その供述を異にし一貫性を欠いて終局本人が初回に供述した通り一一分延を自から裏書きした結果になつた。

(二) 赤塚武検察官調書について

第五回検察官調書(三一、一〇、二五)に於いて「事故当時もこの間は大体その位の速度で走つており、特に時間を短縮したと云うことはありませんでした」と供述している。

(三) 水野幹夫検察官調書について

第二回検察官調書(三一、一〇、二四)に於いて「高茶屋、六軒の頃は一一分延であつたと思います」と述べ

第四回検察官調書(三一、一一、二)で「何分何秒短縮したということでは採時していた青機関士でないとわかりません」と供述している。

赤塚、水野共に回復運転に関する肯定資料は与えておらず結局に於いて被告青、水野、赤塚の供述からは一五秒回復運転をしたと云うことは全然認めることが出来ず、むしろこれを否定する供述となつている。

二、下り二三四列車の回復運転が困難であつた積極的な理由について

高茶屋、六軒間に於いて下り二四三列車が回復運転をなしえなかつた積極的な理由を述べる。

1、云うまでもなく本件下り二四三列車は快速列車であり、機関車二両でけん引していた。機関車二両で列車を運転すると云う事は客車の連結両数が多く従つて重量が重く、しかも快速列車なる故、高速度で運転しなくてはならない、従つてけん引力の増大が要求されて機関車が二両となる。当該列車の速度を問題にするとき、本務機関車の調子の良否は勿論のこと、補助機関車の調子の良否が重要な役割を果す、殊に、本件の場合高茶屋、六軒間は普通列車は七分、快速列車は五分運転である。この五分運転の区間で一五秒の遅れを回復するや否やは機関車の調子いかんが重要な要素である。

青被告第六回検察官調書(三一、一一、五)で同人は回復運転が多少出来たと思う理由の一つとして「補機の赤塚さんが相当給気して押してくれた記憶があるのです」と供述しているのは回復運転の成否は本務機は勿論のこと補機の調子いかんにかかつていることを示している。然し補機の調子が悪くむしろ逆に本務機に負担をかけている感さえあつた有様である。

この事は赤塚被告第三回検察官調書(三一、一〇、二三)で同人は「高茶屋迄の間も蒸気が本来ならば一三キロ程上らねばならないのに二キロも少なく一一キロ程度でした。そこえもつてきて千種君は機関助手となつて経験が浅いため給水、投炭、等の作業が非常に下手で火床の条件回復等とても出来なかつたのです」及び「千種君は給水ポンプを空け放しているので注意をしました。水を出し放しなので蒸気は下つて困るわけですがそんな下手な……」と供述し同人はまた久居警察署第一回供述調書(三一、一〇、一六)(この証拠は本裁判において提出されるべきであつたが提出されていない。本件回復運転について重要な証拠であるからここに付記する)で「(一)亀山で……火床が特に薄く(冷い空気が下から入つてくるので蒸気が上りにくい) 火に注意した」「四 津駅停車中に……缶水の補給を適切にやらなかつたのでその後の運転に缶圧力が急に下り出したので私は千種助士に対して再三注意を与えた」「阿漕駅通過後には前途の運転に困難を来たすように感じられた」「高茶屋駅を通過する頃より缶水が非常に減水して来たので前途の運転を考えた」と供述している。

以上の供述から前に述べたように補機の調子と、その操作方法がまずく回復運転がなされる条件が全然備つていず、むしろ補機が本務機に「ブラサガツテ」いたような状況であつた。

2、検察官は論告で本務機関助士である被告水野の供述を引用して回復運転したという理由に

(一) ブラストの音が大きかつたこと

(二) 何時もより給気運転が長かつたこと

(三) 投炭量が何時もより多かつたこと

(四) 缶水の量が何時もより減つたこと

(五) 火室内の通風が強かつたこと

の例をあげているが右五ツの条件は一応列車のけん引力が増大されたと云う条件であることは認める。併し右本務機のけん引力を増大させねばならなかつた理由は前述のように補機の調子とその操作が拙劣で所定の機能を果すことが出来なかつたので本務機が補機の悪条件を補なわねばならなかつた裏付けである。回復運転が可能というためには右(一)から(五)迄の条件が補機の悪条件を克服して尚余りある条件でなくてはならない。この有様から考えると高茶屋からの一一分延通をそれ以上遅延することなくこの延通を維持して運転するのに精一杯と考えるのを至当とする。

以上の理由で下り二四三列車が高茶屋、六軒間で一五秒の回復運転をしたという主張は成りたたない。即ち六軒駅中心通過は定刻より一一分延の一八時二一分四五秒である。

三、上り二四六列車の松阪駅発車時分は一八時一七分四秒の四秒延である。

時隔の算定については上り二四六列車の時刻を定めねばならないがその算定するについて松阪、六軒間の上り二四六列車運行所要時分の算定は検察官も弁護人側も一応は同一なので、従つて問題は同列車の松阪発の時刻にかかり、同駅発車を一〇秒の一八時一七分一〇秒とするか駅側の採時(西川信号掛四秒延、中井助役五秒延)の四秒又は五秒延の一八時一七分四秒又は五秒にするかにあり、そのいづれが合理性があるかの問題である。

検察官は、乗務員の時分を採用して松阪発一八時一七分一〇秒延として時隔を算出しているし、駅側弁護人は冒頭陳述において駅側西川貞三信号掛の四秒延の採時を基礎にして時隔を算出している。果していづれが正しいか、弁護人側の採時の合理性を明らかにする。

1、検察官は上り補機機関士浦田正治の一〇秒延の採時を採用している。併し浦田証人は時計を注視して見たわけではない。「動いた瞬間にパツと時計を見た時刻です」と第三二回公判(三五、六、二二)で述べており、弁護人主張の西川信号掛のように時計を注視していたのと正確度が薄い。しかも浦田証人は「採時の方法は規則にかかわらず一〇秒単位で採時をしていた」とも証言しておるから右証言により上り二四六列車の松阪発時分が一八時一七分一〇秒に正確に発車したとはうけとれない。即ち一〇秒に巾がある。鉄道関係者の慣行として一〇秒単位と云うことは四捨五入して時刻を定めると云うことである。従つてこの一八時一七分一〇秒発と云うことは正確でなく五秒延のときでも四捨五入で一〇秒という表現をする。この不正確さを裏付ける証拠として右浦田証人は第一回検察官調書(三一、一一、一〇)で「一〇秒位延発いたしました」即ち「一〇秒位」と云う供述を二回も行つており又第三二回公判(三五、六、二二)調書では「松阪を発車した時刻を覚えていませんか」と云う問に対し「覚えていません、併し所定より一〇秒位遅れて発車していたように思います」と述べ当日の公判調書には数ヶ所「一〇秒位」遅れていたとの証言をしている。

検察官はこの「一〇秒位」という不確定な時刻の浦田証言を「一〇秒」といいきつている。この不確定な時刻を確定な時刻とする根拠をあげていない。一〇秒位というこの不確定な時刻の浦田証言を一〇秒といいきつて之を確定的な時刻と独断し直ちに西川証人の採時四秒延と対比して一〇秒延が正しいと論理づけている。これは誤まつている。西川証人の四秒延の採時と検察官のいう浦田証人の一〇秒延の採時とを対比するためにはその前提として、浦田証人の採時の時分を確定数にせねばならない。

2、弁護人が西川証人の四秒延の時分の正当性を主張する根拠は先ずパツと時計を見て採時したものと時計を注視して採時したものと何れが正確性があるかという常識である。特に西川証人は信号掛で列車が入駅し出発準備完了後、即ち赤信号を青信号にしたのちは発車合図のブザーが鳴つて発車する迄は何にも作業が無いので信号扱所の前に立つて列車の発車を待ちながら時計を注視している。之に反し浦田証人は機関士で出発前後には多くの作業がある。この浦田証人は「動いた瞬間に時計をパツと見る」だけである。この事実を裏付ける様に浦田証人は「一〇秒位い」と不確定の証言をしているが西川証人は検察官調書(三一、一一、二二)及び第二三回公判で「四秒延に間違いない」と確定的にいいきつている。

3、松阪駅助役中井証人は第一九回公判(三四、一一、一三)において五秒と証言している。中井証人は出発合図のブザーを押して列車が始動したとき採時をしている。時計の注視と云う点を西川証人(信号掛)と中井証人(助役)と対比すると中井証人の方が作業が多いので注視度は西川証人の方が高いと考えねばならないし、中井証人と浦田証人とこの点を比較すると浦田証人より中井証人の方が注視度が高いと云わねばならない。時刻の正確度は西川、中井、浦田の順となり、西川の採時を正しいとして採用する合理性がある。

4、従つて西川証人は四秒延、中井証人は五秒延と採時するのはもつともな筋である。中井証人は(第一九回公判三四、一一、一三証言)さきに(2)で述べたように浦田証人の証言は「一〇秒位い」の遅れで一〇秒単位で採時をしてあるのだから四捨五入すると五秒遅れを「一〇秒位い」としたものであると考えられるので西川、中井の採時の四秒乃至五秒延と考えるを妥当とする。殊に西川証人及び中井証人は列車の出発時刻について採時をして之を報告するよう義務づけられている(運心四七条乃至五五条)之に反し機関士は報告の義務はない。本件の場合の浦田証人の採時は法規上義務づけられていない便宜的な採時である。右の諸理由で上り二四六列車の松阪発の時刻を定めるときは所定時刻一〇秒延発でなく四秒乃至五秒延発とするのが正しい前述のとおり機関車の始動に近い西川証人の採時をとるべきである。よつて弁護人は四秒延発車の正当性を強力に主張する。

5、検察官は一〇秒延の浦田証人の採時の正当性を裏付ける根拠として

(一) 上り補機機関助士松本利三の証言を採用しているが松本は発車のとき時計を見ていず浦田証人の一〇秒延と云う喚呼に対して応答したに過ぎない依つてこの証言は一〇秒延を立証する証拠にはならない。

(二) 検察官はこの浦田証人と松本証人の一〇秒延の喚呼応答を以つて「特段の正当性が認められる事実」と主張しているが喚呼応答が何故「特段の正当性が認められる」と主張するのかその真意がわからない。この発車時刻の正当性は喚呼応答にあるのでなく採時の正確性にあるのである。弁護人も浦田証人等が一〇秒延の喚呼応答をしたという事実を否定するものでない。一〇秒延の喚呼応答を以て一〇秒延の正当性の根拠とするならば西川証人が六軒へ(定時発車)という現発通知をした事実を以て「定刻発車」と主張し得ることとなる。

(三) 上り二四六列車の車掌前川順一の証言を引用しているが、この証言の引用こそはナンセンスである。即ち前川証人は「何秒延発したか私は採時していないのでわからない」との証言を引用している。弁護人も延発であることは認めている。問題は一〇秒延か四秒延かにある。かかる不特定な証拠をいか程綜合しても一〇秒延の根拠にはならない。

(四) 検察官は「中井助役が一七分カツキリの定刻にブザーを鳴し始めたので

(Ⅰ) ブザーが鳴り終り

(Ⅱ) 汽笛を吹鳴してから動き出す

のであるからこの間五秒以上かかる、五秒というのは余りにも短時分にして不当であるから一〇秒延だと論理を飛躍させている。この考えは次の諸点で間違つている。先づ

(A) 検察官はブザーが鳴り終り汽笛を吹鳴して発車するとの前提に立つているがブザーが鳴り始めて発車しても差支えない。中井証人の第一九回公判調書にも「ブザーが鳴つたらすぐ発車してもよいわけですか」との問に対して「左様です」と答えている。又実際の場合においてブザーは機関車の発車汽笛のあるまで鳴らしつづけるのが原則である。この場合機関士はブザーが鳴り終り汽笛を吹鳴してから発車したと云う証言は何処にもない。延発であることははつきりしているから機関士としては一刻も早く出発したいと云うのが常識であるからこの場合もブザーが鳴り終らない中に出発したものと考えられる。

(B) 次に検察官はブザーが鳴終り汽笛吹鳴するまで五秒以上の時間を要すると云つているがこの間五秒以上かかると云う証拠は何処にも無い。之は検察官の独断である。

(C) このことは中井証人採時の五秒延発に対する検察官の反ぱくであるから中井証人がブザーが鳴り終り汽笛を吹鳴してから列車が動き出したと主張し、その証拠として第一九回公判調書(三四、一一、一三)第七項「ブザーが鳴り終つて発車するのですか」の問に対し「そう云うことになります」と述べ同証人の証言の中に於いて更に第七四項に「ブザーが鳴つたらすぐ発車してもよいわけですか」の問に対し「左様です」と述べ又第七六項で「予告のベルが鳴つている間はブザーを押しませんブザーが鳴つたらすぐ発車するのです」と証言している以上証言の「ブザーが鳴つたら」と云うのは鳴り始めてから鳴り終る迄の間に発車することを意味することとなる。

以上の如く検察官の右証拠はその主張の根拠とすることができない。問題は中井、西川両証人が何時採時をしたかにかかる中井、西川両証人も列車が始動したときに採時したのである。列車が始動したときは何時かということが問題となり結局ブザーが鳴り終り、汽笛を吹鳴してから列車が動き出したかどうかが問題とされるのである。中井、西川両証人は列車の始動を目撃して採時したのであるから始動の時をもつて採時の時機と断定すべきである。即ち検察官主張は理由がない。

(五)(A) 検察官はもと機関士であつた中根秀夫の第三一回公判(三五、六、二一)の証言を引用して機関士の採時が正しいと主張しているが証人中根は機関士であつたからこの公判でも明らかなように機関士に加担することは充分考えられるし正しい根拠は何も説明せず抽象的に思うとしか証言しているにすぎないから信憑性がなく且検察官の引用のように「正しい」とは断定せず「正しいと思つている」と疑問的肯定である。

(B) 検察官は機関士脇海道増雄の証言を引用して機関士の採時の正確さを立証しているが右脇海道証人は駅側と機関士側との採時が違うと云うことだけを立証しているので機関士の採時の方が正しいとは立証していない。只駅側はブザーを押したとき採時し機関士は起動したとき採時をすると証言しているがこの証言の次段で「はつきりしたことは私にはわかりません」と否定している(検察官調書三一、一一、一一)が機関士側の採時の正確性を立証するものでない。尚検察官は元天王寺鉄道管理局列車課長野村正義の証言を援用して機関士側の証言が正しいと主張しているが野村証人は抽象的な一般論をしただけであつて本件具体的な場合上り二四六列車の松阪発車の駅側の採時が正しいか、機関士側の採時が正しいかを立証しているわけでない。これは本件の具体的の場合駅側が正しいか機関士側採時が正しいかの根拠にはならない。

(六) 従つて前述したように採時の時の事実を具体的に本件の場合前記各証言の内容によつて決すべき問題である。

以上の各証拠で上り二四六列車が松阪を発車したのが四秒延の一八時一七分四秒が正当であることの主張を裏付けた。

四  物理的証拠を検討すれば時隔は八秒となる。

上述したように弁護人側主張は下り二四三列車が六軒駅中心を通過したのが一一分延の一八時二一分四五秒であるので下り二四三列車の前頭機関車が脱線顛覆して完全停車した時刻は駅舎中心通過の時から二五、二秒経過している。この点弁護人側の主張は冒頭陳述で述べた如く二五、八秒であるが検察官主張の二五、二秒と殆んど差異がないので下り二四三列車の完全停車時刻は一八時二二分一〇、二秒となる。

もつとも下り二四三列車の前頭機関車が完全停車した時刻と同列車第一客車が完全停車した時刻の間には観念的時差があることは認められるがこの時差は実際上計算出来ない。

上り二四六列車は松阪駅を四秒延の一八時一七分四秒に発車した。それに接触現場へ到着する迄に要する時分を加えたものが上り二四六列車の接触現場に到着した時刻であることは勿論である。

併しこの松阪駅発から接触現場迄の時分について弁護人側の主張と検察官側の主張との間に喰い違いがある。

1  検察官側は冒頭陳述書によれば上り二四六列車が接触現場に到着したのは一八時二二分二六秒と主張しているから検察官主張の松阪駅発車一〇秒延を前提にして逆計算をすると五分一六秒要したことになり、弁護人は五分一四秒要したと主張する従つてこの間に二秒の喰い違いが生ずる。

この二秒の喰い違いを検討する場合第一考えねばならないことは接触現場の位置の定め方である。

(一) 下り二四三列車の第一客車が本線を支障した位置を接触現場とするか。

(二) 第一客車に上り二四六列車の本務機関車が接触停止した位置を接触現場と考えるか。

について距離にして約二〇米の誤差がある。

2  次にこの区間の距離が定まつてこの区間の時速その他計算の基礎になるものが同一かどうかの問題が起る。

検察官は下り第一客車に上り本務機関車が乗り上げた地点を接触現場としている。即ち六軒駅々舎中心から二四八米位の地点(検察官引用の司法警察員作成の実況見分調書とは久居警察署警部補小寺太郎作成実況見分調書附表「三一、一〇、二二」と推定する。但しこの附表には二四六、八米となつている)であり弁護人側の主張は下り第一客車が本線を支障したその客車の前頭を接触地点と主張する。

この客車の前頭の本線支障部分が上り機関車の端梁に接触して九〇度転回され同機関車が客車を横転させ乗上げたのである。

従つて客車の長さだけ六軒駅の駅舎中心からの距離がせばまつたことになる。客車の長さは二〇米であるからこの接触現場の考え方の相違がその現場を検察官は六軒駅から二四八米とし弁護人は二六八米とする従つて二〇米の距離の相違が出て来る。この二〇米の距離の相違については約九〇度転回したとの仮定に立つたが正確には九〇度転回していない、従つて二〇米以下の距離になるが、上り機関車が下り第一客車に接触したときその衝撃により下り二四三列車が若干後退しているので約九〇度転回して二〇米の距離の差が出たと考えて差支えない。

3  松阪駅発から接触現場までの時分の計算の算式は弁護人側冒頭陳述第二計算方式に従つて計算する。

松阪駅から六軒駅中心までの定められた所要時分が五分三〇秒であるから六軒駅の駅舎中心から接触現場までに要する時分を引いたものが松阪駅から接触現場までの所要時分である。

そこで検察官は六軒駅中心から接触現場までを二四八米と主張するので此の区間を時速六〇粁で列車が走行した時分は一四、九秒となり之を松阪駅から六軒駅中心までの所要時分五分三〇秒から差引いたものが五分一五、一秒となりこれが即ち松阪駅から現場までの所要時間である。

弁護人側は右距離を二六八米と主張するからこの区間を時速六〇粁で走行した時分は一六、一秒となりこれを五分三〇秒から差引くと松阪駅から接触現場までの所要時間五分一三、九秒となる。

この松阪駅から接触現場までの所要時分の相違は検察官側の五分一五、一秒から弁護人側の主張の五分一三、九秒を引いたもの即ち一、二秒の相違となる。

4  要するに検察官は右松阪駅から接触現場までの所要時間五分一五、一秒を繰上げて五分一六秒とし、弁護人側は五分一三、九秒を繰上げて五分一四秒とする故、ここに二秒の誤差が出来てくる。この二秒の誤差のうち一、二秒については、はつきりしているが残り〇、八秒は検察官の〇、一秒を一秒に繰り上げたのと弁護人側の主張の〇、九秒を一秒に繰り上げた相違の結果である。検察官の〇、一秒を一秒に繰り上げた計算は常識を逸している。四捨五入は一般の常識であるが〇、一秒を一秒に繰上げるとはどう云う訳か、一秒でも上り列車の時分を遅らす心根がうかがわれて納得出来ない。

5  次に接触位置を弁護人主張の本線を支障した下り第一客車前頭とするか、検察官側主張の上り本務機関車が下り第一両目客車に乗り上げて停止した位置とするか、いずれが合理性があるかの問題であるが本件過失犯においては事故発生の危険の時分が問題になるのであるから危険が第一に実現した下り第一客車と上り本務機関車の接触地点をその現場とするのは当然の論理である。弁護人の主張は全く正しい。

従つて接触の位置は下り第一客車が本線を支障した右第一客車の前頭としなければならない。当然接触位置は六軒駅中心をさる右地点即ち二六八米の地点であらねばならない。前述地点を基礎として上り二四六列車の接触地点の計算をしなければならない。この計算に従えば弁護人の主張の上り二四六列車が松阪駅を出発して接触地点へ到着するまでに五分一三、九秒を繰り上げ五分一四秒を要したものとの主張は反論の余地なく正しい。

6  すると検察官の主張する上り二四六列車の接触現場到着は松阪一〇秒延の一八時一七分一〇秒に五分一六秒を加えたもの、即ち一八時二二分二六秒であり、弁護人主張の時分は松阪発四秒延の一八時一七分四秒に五分一四秒を加えた一八時二二分一八秒となる。

7  検察官はこの主張を維持するもう一つの理由として上り二四六列車を走行させた浦田証人(上り二四六列車補助機関士)が松阪発車から接触位置迄を走行した列車運転状況を立証として援用し列車が基準運転時分よりも遅れて接触現場に到着したように立証しようと企てている。これは全く失敗である。検察官が論告で援用している浦田証人の供述によれば松阪発車から接触現場までの上り二四六列車の運転の状況は非常な誤りを含んでいる。即ち

(Ⅰ) 近鉄ガード下迄は基準運転速度で運転しこの地点迄は四分二〇秒で、

それから北方は採時していなかつたので記憶ありませんとの趣旨の供述をしている。浦田証人第一回検察官調書(昭和三一年一一月一〇日)

検察官は浦田証人の採時をしていない近鉄ガード下北方の距離を計算(この計算には誤りがある)して

(Ⅱ) 近鉄ガード下から三渡川鉄橋南詰までを時速七〇粁で、

(Ⅲ) 次ぎに三渡川鉄橋南詰から接触現場(検察官主張の下り第一客車に上り本務機が乗り上げ停止した地点)迄を時速六〇粁で計算して五分一六秒としている。この計算には先づ(Ⅱ)の距離が近鉄ガード下から三渡川鉄橋南詰迄約七〇〇米あり、この距離を時速七〇粁で割つて三六秒要すると計算しているが右の区間の距離は正確には七〇〇米でなく六五三米であるから(検察官実況見分調書符表「三一、一一、八」)これを時速七〇粁で割ると三三、三秒となり検察官の主張と二、七秒の相違がある。又、(Ⅲ)の三渡川鉄橋南詰から接触現場(検察官主張の下り第一客車に上り本務機が乗り上げ停止した地点)迄の距離を示さず二〇秒位いと主張しているが右区間の距離は二九七、二九米で(検察官実況見分調書「三一、一一、八」)これを時速六〇粁で割ると一七、九秒となり二、一秒の差が出る。この(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)の三つの区間の時分は正確にはこの区間の時分合計五分一一、二秒となる。ここに検察官主張の右区間に要した時分五分一六秒より四、八秒少ない時分五分一一、二秒となり検察官の時分を成る丈け長くしようと意図するものより逆な結果が出て弁護人側の主張の正しさを裏書するものである。この計算は検察官主張の接触地点を基にして下り第一客車が上り本務機にのり上げた地点としての計算であるから弁護人側主張の下りの第一客車の前頭が本線を支障した地点とすれば二〇米の距離の相違が出る。従つて一、二秒の時分の短縮になるからこの浦田証言を基礎にした検察側の言い分を援用して正しく弁護人側の主張を計算すると五分一一、二秒から一、二秒を引いた五分一〇秒となる(弁護人側冒頭陳述ではこの計算方法による時分は五分一二、五秒である。この違いは三渡川鉄橋南詰迄、基準運転線図に依つて計算をしているので八、五秒の差が出ている。)この計算でいくと弁護人側主張の上り二四六列車衝突地点到着は一八時二二分一四秒となり検察官主張の一八時二二分二六秒より一二秒少ない結果となる。尤もこの一二秒の差の中には四秒延と一〇秒延との差の六秒と衝突現場地点の距離の差一、二秒が含まれているので七、二秒の差が出るのは当然であるが浦田証言によると検察官の計算は四、八秒の間違が明らかにされこの時分だけ弁護人側主張の時分に接近することとなる。検察官の論告が如何に論理の矛盾におちいり支離滅裂であるかということがわかる。

8  次ぎに検察官は浦田証人(上り二四六列車補機機関士)及び築山証人(亀山客貨車区長)の証言を引用して上り二四六列車は制動措置が講じられていて高速ではなかつたことが認められるのであるからこれを合わせ考えればその接触時刻は右計算より若干遅れるものと見るのが相当であると主張しているがこの論拠は薄弱である。先づ第一に制動措置をとつたか、どうか疑問でありむしろとつていないものと考えられる。制動をとつたとしてもその制動をとつた地点が明瞭でなく且つ制動をとつて如何程減速されたかも明瞭でない。一秒、半秒を争う本件に於いてこのような漠然としたものは証拠にはならない。この点、松本証人(上り二四六列車補助機関助士)は第六回公判(三五、九、一九)で「接触する直前或は接触したときにあなたの補機は制動をかけたか、かけなかつたか、その点どうかね」の問に対し「私当時それわからんだんで、浦田さんに聞いたんですが、浦田さんもかけやんだといつていました」と証言しているので補機は制動をかけていないことは、はつきりしている。又、本務機について岡村証人(上り二四六列車本務機関助士)は、検察官供述調書(三一、一二、一二)で「尾崎が鉄橋附近でかけたと思う。」旨を供述し且つ第二七回公判(三五、九、二〇)で脱線する前はブレーキの音はしたと思いますけどそのすぐ位いの程度で記憶ないですけどブレーキの音はしたと思います」と供述して本務機関士がブレーキをかけたという証拠はなく、仮りにブレーキをかけたとしても減速したという証拠もない。これを裏付ける証拠として松本証人は「制動機(本務機の制動機)をかければ補機の方にもわかりますか」の問に対し「それが六〇粁の速度で出てますわなあ、それで、ブレーキをかけて一〇粁なり二〇粁なり速度が落ちればわかりますけど落ちるまでやつたらわからんと思うんです」と答え、又つづいて「急制動をかけるシヨツクは感じなかつたか」の問に対し「感じなかつたように思います」と供述している。この供述から考えると本務機関士が急制動をかければ補機の方にシヨツクが起りそれがわかる筈だが、補機がシヨツクを感じないから本務機関士が急制動をかけたとは思えない。仮りに制動をかけたとしても右、松本証人の証言で一〇粁なり二〇粁なり減速されればわかるが減速を感じなかつたので衝突迄に制動の作用がなされないとすれば上り二四六列車の接触位置到着の時間とは無関係である。検察官論告のように減速されたので右上り二四六列車の接触現場到着の時刻が遅れたとの論理は成立しない。と述べ時隔は一八時二二分一〇秒より一八時二二分一八秒の間の八秒であるとし、右述べる自己の主張の正確さの根拠として証人井面きく子、同中村うた子、同日高上、同野正敏、同北川重男、被告人杉山静雄、同青保雄、赤塚武の供述乃至その行動を援用する。

双方の主張を図示すれば左の如くである(*印は検察官主張)

時隔について

時隔を算定するに際し、先ず留意しなければならないことは、国鉄職員の列車の発車時刻、通過時刻について述べる時刻の精確度の問題である。さきに事実欄第四採時の項において述べた如く、快速列車については六捨七入の一五秒単位の各停列車については一四捨一五入の三〇秒単位の採時法がそれぞれ採用されている。従つて採時上定時(発車、到着、通過)というも、快速列車についていえば実に前後一四秒の巾がある。例えば高茶屋駅を一八時一六分三七秒から五一秒の間に通過したとすれば、四五秒に通過したとして採時される。しかも国鉄職員が採時に使用する時計は官給の普通の懐中時計であつて、ストツプウオツチではない。針は絶えず時を刻んでいく。そのいうところの時刻は通常の執務に支障を来さない範囲においてのおおむねの時刻である。機関士としての経歴一七年余を有する赤塚武が(検察官に対する昭和三一、一一、二付供述調書第四項)、私の採時方法は、快速列車の場合一五秒単位となつて居りますので次のようにしております。それは一五秒単位にして次の単位未満の場合は、その採時が必ず手前の単位のものとしておきます。例をあげれば或る時分の三〇秒発車という場合に四四秒に発車した時は三〇秒発車と採時し、四六秒に発車した場合は六〇秒発車即ち三〇秒延発として採時します。と述べ下り二四六列車次位補機機関士浦田正治も当公廷(第三二回公判、記録第八冊)において

189問 採時については駅に規則がありますが、証人等機関士もその規則によるのですか。

答 規則で一五秒単位で採時しており、例えば何時何分四五秒とか一五秒とかいうふうになりますが私等は快速の場合一〇秒単位で記録をとつています。

208問 念を押しますが採時の方法は一五秒単位ですね。

答 現在はそうです。当時はどうだつたかはつきり覚えありません。

209問 証人はそういう規則に拘らず、一〇秒単位で採時してたというのですか。

答 そうです。快速列車のような列車は一〇秒でもなかなか回復できないし遅運転する場合もあり自分の責任で遅運転するのが厭なので自分の責任をはつきりさせる為一〇秒以上の分は書いていました。

284問 一〇秒位延発したということですが、証人は一〇秒という採時をした訳ですか。

答 そうです。

285問 では、位という大体のことは言えないと思いますがどうですか。

答 ちよつと動いたときが一〇秒で手帳にはそう書いてあります。

と述べている。

列車運転頻度の高くない当時の参宮線においてはこの程度の採時方法を以つてしても、列車の運行には何等支障がなかつたものと理解しなければならない。

以上のことから、参宮線の平常の執務態勢のもとにおける国鉄職員採時者の採時記録乃至時刻記憶から過ぎ去つたある時点の正確な時刻を知ろうとすることは殆んど不可能に近い。

次に時隔算定にあたり留意しなければならないことは乗客の供述をそのまま採ることの危険さである。通常人は秒単位の生活をして居ない。取調べの対象となつた乗客の大部分は高校生であり、秒単位の生活はして居らずその余の取調べ対象者についても同様である。まして彼等は当時切迫した身の危険を感じさせられる恐怖に満ちに状態に置かれていたのである。その多くの者が周章狼狽していたであろうことは推察するに難くない。

平静に戻つた時において、彼等に当時を回想させ当時の明暗の状況、車内の窮くつさを考慮の外に置いて当時の行動を再現させて、その所要時分が何秒であるから当時も何秒の時間があつたであろうと推論することは極めて危険である。その再現する行動も或いは速く或いは遅く演出自在である。これ等のものは特別のものを除き証拠価値は低いものとみざるを得ない。

次に高茶屋、六軒間で一、五秒の回復運転がなされているか。

検察官は論告要旨(一四四、一四五ページ)において、採時の第一責任者である青被告人が昭和三七年三月六日の公判廷及び第九回検察官調書で一五秒回復を一貫して供述している。その供述には強い証明力があるとされるので青の右の供述がしかく一貫したものであり強い証明力を有するものであるか否かについて検討してみよう。

検察官第二回調書(三一・一〇・二三)三項(記録第一二冊の一)

列車が遅延している時にはその列車の機関士は許された速度の範囲内でこれを回復することに努めなければなりません。事故当日私は津駅で三〇秒だけ回復しました。しかしながら津駅で乗客の乗降で一分間費し、その後阿漕で三五粁の徐行区間があつたが六軒駅へ入るまでには大体一分遅れのまま進入したように記憶しています。つまり六軒駅では一一分遅延していたことになります。

検察官第三回調書(三一・一〇・二四)三項(記録第一二冊の一)

出発信号機については通常場内信号機附近の見易い所で確認し注視して進行すべきでありましたが、その時には何分位遅延時間を回復したかということにのみ気をとられて時計を見たりしていて出発信号機を確認しないで場内信号機附近を通過して進行しました。その時私の時計では一〇分四〇秒遅延であつたことを記憶しています。

検察官第五回調書(三一・一一・二)一項(記録一二冊の一)

阿漕駅では津駅の一一分遅延をそのまま維持していました。

その後六軒駅最遠ポイント通過までは所定運転時間通り運転して来ました。

先に六軒駅場内信号機附近を通過した時に私の時計では一〇分四〇秒遅れであつたことを記憶していると申しましたが、(一〇・二四付供述調書第三項中)正確には下り最遠ポイント通過の時、時計を見たもので、その時には一〇分四五の遅延になつて居りました。

先に提出した表では六軒駅の遅延時分を一一分と書いて置きましたが最遠ポイントから駅長室前までは三秒位かかると思いますので正確にはそこでは一〇分四八秒位でなかろうかと思つて居ります。

事故当日の私の乗務日誌には亀山を一〇分三〇秒延発、津駅では一〇分延着、一一分延発、六軒駅では一一分延通と書いて置きました。右亀山延発と津延着は津駅で記入し、津駅の一一分延発と六軒の一一分延通は久居の警察署に来てから心覚えに書いて置いたものです。

検察官第六回調書(三一・一一・五)一項(記録第一二冊の一)

先回私の機関車が六軒駅南方の田甫に脱線横転して停止した時間について一八時二一分五一秒位

と申上げましたが(一一・二付供述調書第一項中)その時分の計算につき間違があるので訂正して申上げます。

先づ下り最遠ポイントから駅長室前での時分について三秒位と申上げましたが、只今検事さんから駅構内図面を見せてもらい、その間の距離が二九二メートル七五であると聞きましたが、それから考えてみると三秒位では走れる訳がなくその頃六五キロ位速力が出てたとして一秒間に一八メートル進みますので結局一六秒位かかるはずです。そして先に最遠ポイント通過の時分が一〇分四五秒位順延になつていたと申上げましたが、これを所謂私等の繰上げ採時のくせで或は三五秒又は四〇秒であつたかも知れずこの点はつきり一〇分四五秒の順延があつたとは申上げかねるところであります。

大体二四三列車は機関士としては非常に忙しい列車で時分の回復はなかなかむつかしいことは先回申上げた通りであり、津以降の関係を申上げますと阿漕、高茶屋間では所定運転時分三分三〇秒で、この間ではとても回復はできません。しかし高茶屋、六軒間は所定運転時分は五分で、この間では多少回復できる所で一〇秒位は回復することができます。

事故当日もはつきりは申上げられないが多少回復できたように思つて居ります。それはその間補機の赤塚さんが相当給気して押してくれた記憶があるからです。そこで最遠ポイント通過後一〇分四〇秒遅延していたとすると、それから先程申上げたその最遠ポイントから駅長室前迄の一六秒位を加算すれば駅長事務室前においては一〇分五六秒位遅延していたことになります。そこで駅長事務室前における時間を見ると所定通過時刻は一八時一〇分四五秒でありますので一八時二一分四一秒になることになります。

検察官第九回調書(三二・一・一七)一項(記録第一二冊の一)

先に下り最遠ポイント通過のとき遅延時分を採時したところ一〇分四五秒の遅延になつていたと申上げましたが、これは時計を見たところが最遠ポイント通過の時であるが、一〇分四五秒遅延というのは駅舎中心前を通過する際の遅延時分を最遠ポイントの所で採時した意味であつて、つまり駅舎中心前通過の時一〇分四五秒遅れていたことを申上げたのです。

第六五回公判速記録九枚目(記録第一三冊)

検察官と青被告人との問答。

あなた採時したことないんですか。

採時しています。二一号ポイントです。

その時に時分が何時だつたか覚えていますか。

どこの駅でも通過列車は最遠ポイントで確認するわけです。そこでいつも運転しておりますから駅の中心まで大体何秒ぐらいで走るということが毎日乗つているとわかるわけです。それでポイントの時間を見まして駅中心の時間をもう出してしまうわけです。

その時に駅中心通過は何分遅れという算定をしたのですか。

二一号ポイントで一〇分四五秒というのをやりました。

その時、駅中心通過時分は一〇分と四五秒遅れと採時されたわけですね。

はいそうです。

と述べられている。捜査の段階における被告人青の供述の推移を要約すれば前掲記の如く三一・一〇・二三調書では六軒一一分延、三一・一〇・二四調書では下り場内信号機附近で一〇分四〇秒延、三一・一一・二調書では下り最遠ポイント一〇分四五秒延、駅長室前一〇分四八秒延、三一・一一・五調書では駅長室前一〇分五六秒延と述べていたのが三二・一・一七に至るや突如として一〇分四五秒延は駅舎中心延通時分でこの一〇分四五秒は最遠ポイントの地点で予め測定して置くものである旨に供述を変えているのである。それまでは同被告人は最遠ポイントから駅長室前迄の所要時間を三秒と言い又一六秒と言い、これを一〇分四五秒に加算するのだと説明していたのである。しかも駅舎中心という表現は三二・一・一七調書までは使われていない。これは最遠ポイント一〇分四五秒、駅舎中心一一分延通とすると脱線顛覆時刻が遅くなるので、この時刻を遡らしむるための苦心の供述であることを窺知するに十分である。(検察官は冒頭陳述において時隔は三八秒と主張)検察官第九回調書第六五回公判中の被告人青の一五秒回復がなされた趣旨の供述は証拠価値なきものと謂わざるを得ない。

被告人青の供述からは一五秒回復を認めるに由ない。

又検察官は赤塚武補機機関士が六軒駅一〇分四五秒延通の旨供述している如く述べている(論告要旨一四五、一四六ページ)、しかし同人は三一・一〇・二〇付警察調書一項(記録第一四冊)

私の乗務日誌の一〇月一五日のところの中

六軒延着一〇・五

との記載は六軒駅に一〇分半延着したことを示すものであります。

亀山及び津の延発及び延着記事は発車及び延着後記入したものでありますが、

六軒駅一〇分半延着の記入

は二四三列車が六軒駅構内で脱線顛覆事故を起した後に、私が事故報告をする際に機関区から時間的にどうやと問われた時困ると思つて、六軒駅の上りホームで記入したのであります。

検察官第三回調書(三一・一〇・二三)二項(記録第一四冊)

遅延列車は機関士において極力回復しなければなりませんが、私の経験よりして駅区間の走行においてはそんなに短縮できるものではありません。むしろ駅へ停車する場合にその停車或は発車を迅速に言い換えれば操作を荒く運転した場合に回復されます。

阿漕駅へ来る迄は亀山発車の際の一〇分三〇秒延を殆ど短縮できずに来て居ります。そして高茶屋へ入駅した当時はそれよりも更に一五秒程遅延しています。(中略)

火床は亀山駅出発当時より薄く、余り条件が良くなかつたのですが、高茶屋迄の間も蒸気が本来ならば一三キロ程上らねばならないのに二キロも少く一一キロ程度でした。そこへ持つて来て千種君は機関助士となつて経験が浅い為か給水、投炭等の作業が非常に下手で、火床の条件回復等とてもできなかつたのです。(中略)遠方信号機を注視且つ確認しましたところ進行信号であつたので、

「遠方進行」

と喚呼したところ、千種君も応答したようでした。それから私は直ぐ千種君に給水を命じ再び機関士席より降りてかまの所に行き投炭作業を行いました。というのは千種君の癖として投炭した場合平均に撒布せよと命じてもどうしても左へ固める癖があるからです。そこで私がポーカー(鉄棒)で左側に固つた石炭を右側にならして火床を平均にし云々。

検察官第五回調書(三一・一〇・二五)一項(記録第一四冊)

高茶屋、六軒間は五、七キロで快速列車の所定運転時間は五分となつていると思います。事故当日もこの間は大体その位の速度で走つて居り、特に時間を短縮したということはありませんでした。従つて六軒駅入駅当時依然として定刻より一〇分四五秒の遅延となつて居ります。

検察官第八回調書(三一・一一・二)六項(記録第一四冊)

六軒駅迄五分かかり、その間短縮運転はできていないと思うので六軒駅々舎前を通過した時刻は一八時二一分三〇秒と想定される。

とあつて青の高茶屋一一分延通、一五秒回復(検察官主張前記検察官の主張として引用した一の1の(一)(二)参照)とは異なり高茶屋一〇分四五秒延通、高茶屋六軒間回復なしと述べているのである。その供述からは到底検察官主張の一五秒回復運転の事実は立証できない。

又検察官は(論告要旨一四五ページ)被告人水野の供述も一五秒回復の証拠となると主張するが、同被告人は、

第二回検察官調書(三一・一〇・二九)五項(記録第一二冊の一)

列車遅延の状態は津駅で約一〇秒か一五秒要したものと、阿漕の徐行で要したものと合せて三〇秒延となりましたから、最初の一〇分三〇秒延プラス三〇秒で阿漕を通過し、高茶屋、六軒の頃は一一分延であつたと思います。この一一分延と言うのは阿漕の構内を出てから機関士から一一分延と言うので私も一一分延と復唱致しましたから間違いありません。

第四回検察官調書(三一・一一・二)六項(記録第一二冊の一)

回復運転のことについて申しますが、あの時亀山を定刻より一〇分三〇秒延で発車し、亀山――下庄間にある阿野田トンネルの入口辺りで三〇メートルか五〇メートルの間を三五キロ徐行で走り、それが為約三〇秒増延しましたが、この箇所は高速度運転の所ではなく何時も四〇キロ乃至五〇キロ位で走る所ですから三五キロの徐行では大した増延にはならず亀山――津間の回復運転によりこの増延は取戻され津駅では一〇分三〇秒の順延(亀山延発と変りがなかつたこと)でありました。それから津寄りの阿漕構内で三五キロの徐行がありましたが、この箇所も前同様何時も四五キロ乃至五〇キロで走る所ですから増延率は少く僅か二〇秒か三〇秒の増延であつたように思います。それで阿漕構内を出てから機関士と一一分延と喚呼応答を致した訳です。勿論津を出てから六軒で事故を起す迄回復運転に努めたので六軒迄には運転時間を短縮したことは間違いありませんが、何分何秒短縮したと言うこと迄は採時していた青機関士でないと判りません。

只今申したように回復運転をした事実は右徐行箇所以外で、

1 ブラストの音が大きかつたと言うこと、

2 何時もより給気運転時間が長かつたこと、

3 投炭量が何時もより多かつたこと、

4 缶水の量が何時もより減つたこと、

5 火室内の通風が強かつたこと、

等により助士の私としてもよく判つて居ります。

とあるに止り、水野被告人も回復運転の内容は青被告人でなければ判らぬと述べているのであり、青被告人の供述からは一五秒回復の事実は認め難いこと前に見た通りであるから、被告人水野供述も一五秒回復の事実を認定する証拠とはなし難い。

以上、青、赤塚、水野の供述内容を検討してきたが、これ等が一五秒回復の事実を認定する証拠となすに足りず、他にこれを認めるに足る証拠はない。当裁判所は一五秒迄の回復はなかつたものと認定する。

以上から当裁判所は

1 二四三列車六軒駅々舎中心通過時刻……一八二一分四五秒頃

2 二四三列車が六軒駅々舎中心より南方二九三、五メートル位の地点に完全停止するまでの所要時分を二五秒位

((被告人青の検察官調書(記録第一二冊の一)当公判廷における供述、沖島喜八三一・一二・二〇付鑑定書(記録第一三冊)を参考に算出したが、この数値は二四三列車の速度に応じることは鈴木弁護人指摘の通りである))

とし、

従つて二四三列車完全停止時刻を一応一八時二二分一〇秒頃とする(後記参照)。

次に、二四三列車と二四六列車の接触地点及び近鉄ガードより三渡川鉄橋南詰までの距離如何。

これは駅側弁護人指摘の通り(弁論要旨五八ページ)二四三列車第一車輛の転回による距離、二四六列車衝突の衝撃による二四三列車車輛の後退距離の合計約二〇メートルを加算するのを相当とするので右地点は駅舎中心南方二六六、八メートル位となり(証拠に挙示の証人築山季雄の供述記載参照)又近鉄ガードより三渡川鉄橋南詰までは七〇〇メートルに非ずして六五四メートルであること明らかである(三一・一一・八検察官実況見分調書及び三一・一〇・二二司法警察員実況見分調書記録第二冊参照)。

又、松阪駅より衝突地点迄の二四六列車所要時分を五分一四秒(証拠欄挙示の証人浦田正治の供述、同人の検察官に対する三一・一一・一〇調書の記載と前記の距離の修正、三一・一〇・二二司法警察員実況見分調書等を参考に算出)とみるを相当とするところ、

次に二四六列車の松阪駅発車時刻如何。

検察官は一八時一七分一〇秒と主張するに対し駅側弁護人は一八時一七分四秒と主張する。

証人浦田正治の供述(第三二回公判、記録第八冊)、同人の検察官に対する供述(三一・一一・一〇調書、記録第一六冊)、証人松本利三の供述(第三六、第三七回公判、記録第九冊)、証人前川順一の供述(第三七回公判、記録第九冊)、証人中井源一の供述(第一九回公判、記録第六冊)、同人の検察官に対する第二回供述(三一・一一・二調書、記録第一六冊)、証人西川貞三の供述(第二三回公判、記録第七冊)を仔細に検討するに検察官、駅側弁護人の主張にはいずれも一応これを首肯させるに足る根拠がある。そこで、

駅側弁護人主張の二四三列車松阪駅発車時刻を一八時一七分四秒とすれば同列車の衝突地点到達時刻は一八時二二分一八秒となり、二四三列車完全停車時刻一八時二二分一〇秒との時隔は八秒となり、

検察官主張の一八時一七分一〇秒発車説に従えば、右の時隔は一四秒となる。

しかしながら右の時隔は、その算出の一応の基準である二四三列車高茶屋駅一八時一六分四五秒の一一分延通、六軒駅一一分延通というもこれは前後に一四秒の巾のあるもの、又二四六列車松阪駅一八時一七分四秒又は一〇秒発車というもこれ又ストツプウオツチを使用して採時した確定不動のものでないこと、更に二四三列車二四六列車の高茶屋、六軒間若しくは松阪、六軒間の遅運転、速運転の程度、二四三列車の六軒入駅後の速度、二四六列車についての制動機操作の有無、その効果等についてはその判断資料を欠き(証人築山季雄裁三五・二・一〇調書参照)判別し難い点は一応考慮の外に置いて右時隔が出されたもので、秒を争う観点からすればまことにずさんなものである。かくて時隔の正確なる認定は殆んど不可能というに近い。

然しながら現実に存在した時隔が右に算出された八秒又は一四秒という如き短時間でなかつたことは次の関係者等の供述からこれを窺い知ることができる。

(1) 被告人四ツ谷準之助第四回検察官調書(三二・一二・一九)三項(記録第一二冊の一)

自分の前を二四三列車が通過して行つたのであとを追いかけて一〇メートル位下りホームを南方に走つたと思つた頃列車は突然津屋城踏切を最後尾にして停車しました。列車が停つて了つたので慌てて何時もの習慣で速足でテコ上屋に戻つて行きました。丁度その時通票受柱の附近でホーム北側からやつてきた被告人別所に出会つたので通票を受器からはずして同人に渡し、テコ上屋へ行つて下り場内信号機のテコを復位し、同信号機が定位になつたのを確認したと思つた瞬間、下り列車が停つている辺でガチヤンという音を聞いた。

(2) 被告人杉山静雄(第六五回公判速記録第一三冊)

二四六の到着を待つておつたんです。ハコ番の前で。二四三は停車するものと自分は思つてますから南の方、松阪から来る二四六を見ておりました。そしたら自分の目の前をきつい勢で二四三が突つ走つて来て砂利を破つてものすごい音をたてて田圃にめりこんだんです。で、私はえらいことやつたなと思つて直ぐ構内電話にかかつて、駅舎を四、五回呼んだと思います。そしたらあいにく駅の方からかかつてくれません。それで何気なしにふつと電話を回してる間に南の方を見たら三渡橋ぐらいでしたやろか上り列車が突込んで来るのでこれは何かあるといけないからとに角列車を止めようと思つて、ハコ番の中で合図灯を赤にして南向いて線路の西側をちよつと記憶ありませんが一〇メートルか一二、三メートル走つた記憶です。その時に衝突しましたんです。

(3) 証人井面きく子(裁、三四・一・二四及び三七・一・八実施証人尋問、検証調書記録第三冊及び第一二冊)

私は娘稔子を駅に出迎えに行つたが改札口に居ると娘が恥かしがつて嫌がるので駅舎西側の藤棚のところで日通の方を向いて列車の到着を待つていたところ、そのうち汽車が灯火をつけてやつて来たが、大きな音を立てて停車もしないで進んで行つたので娘が乗つている筈なのに何としたことだと思い貨物庫の東南端のセメントの柱の置いてある辺まで来ました。その時表現し難い音がして汽車が脱線てんぷくしたので家にいる夫に向つて「お父さんえらいことや」と大声で叫んで再び保線小屋附近(約三四メートル位)まで走つて行つたときガチヤガチヤという音を聞き列車が二、三度押し返されるような状態を見た(右の走つた時間は、前記検証の結果では、一〇秒であつた)。

(4) 証人水谷藤夫(第三三回公判記録第八冊)

二四三列車の最後部の客車の車掌室にいたとき列車が急停車したので後部客車進行方向左側デツキから外へ飛び降りて、客車のあかりで時計を見て前の方へ歩きかけて客車一輛位(約二〇メートル)歩いたときに大きな音が列車の前方でした。

(5) 証人後口邦夫(三四・七・六証人尋問、調書記録第六冊の二)

二四三列車の二輛目の前のデツキに出ていたとき、急停車したので進行方向左側の客車の戸を開けて友人の佐藤君と二人で外へ降りて前方へ一〇メートル位歩いて行つたとき大きな音がしたので私は身を伏せました。

(6) 証人佐藤光男(三四・七・六証人尋問、調書記録第六冊の二)

二四三列車の二輛目の前のデツキで友人と雑談していたとき、急停車したのでおかしいと思いデツキの扉をあけて進行方向をちよつと見たら機関車が倒れていたように思いました。暗かつたが横に倒れているように感じました。後口君と私とどちらが先に言い出したのか判りませんが、危いから降りようと言つてすぐ外へ降りて、二、三歩位前方へ歩き再び降りたデツキから乗ろうとして手すりに手をかけた時列車が何かにぶつかり第一輛目の客車が倒れました。

(7) 証人山下浩(三四・七・九証人尋問、調書記録第六冊の二)

二四三列車一輛目後部右側のデツキにいたら急停車したので、すぐ右側の出入口から車外に降りてみたら脱線していたので荷物を取りに行こうと思つて再び車内に入り客車の出入口の所まで行つたとき列車が接触した。

(8) 証人縄手瑞穂(第一五回公判記録第六冊)

列車が停車して電灯が消えた。進行方向右側の網棚に置いてあつた鞄をさがそうと思つてどのポケツトからか忘れたがポケツトからマツチを出してマツチをすつて鞄をさがしたが見つからなかつた。そして下をさがそうと思つて下を見たら足許に人がうつむいていたので危いと思いマツチを吹き消して座席の間に入つて網棚の棒につかまつたとき列車が接触した。

右掲記の供述から判断すると、経験則上時隔は駅側弁護人が主張するような八秒又は計算上一応算出された一四秒でないことが推認できる。

よつて当裁判所としては時隔算定の始期並びにその終期を何時何分何秒と確定明示することはできないけれども、右に検討した結果や証人日高上の供述(記録第一冊、検三一・一〇・二四記録第一六冊)等を綜合し、時隔は二〇秒位あつたものと認定する。

(時隔算出の根拠が右の如くであるから二四三列車車掌水谷藤夫の供述中二四三列車停止後車外に出てから時計を見たら二一分台であつた旨の供述は右認定の支障とはならない。)

右から二四三列車が完全停止した際に二四六列車の進行していた地点は二四三列車の第一客車々輛の前頭から距る三三二メートル(時速六〇キロとして計算)の辺で、三渡川鉄橋南詰より南方五四メートルの辺であるが上り遠方信号機より北方三二メートルの地点となる。

図示すれば左表の如くである。

以上明らかにした当裁判所の見解を前提として駅側被告人の責任の有無を判断する。

二四三列車の脱線てんぷく事故は同列車の機関車乗務員が信号の確認を怠り入駅したために発生したものであること前に認定した通りであつて、駅側被告人にとつては回避不可能の事故であつた。しかしながら駅側被告人としては二四三、二四六列車の行違駅で六軒駅に変更され、二四三列車脱線てんぷく後やがて二四六列車が入駅して来ることは知悉していたのであるから、二四三列車停止方向に見られる異常なる火焔の反映若しくは同列車の異常なる停車状況、平素勤務して熟知している本線と下り安全側線との敷設状況(間隔二、九メートル)等からみて当然に二四三列車と二四六列車との接触を予見し、結果発生を防止するに必要な臨機の措置を採るべきことを要求されるのは当然である。須く駅職員は一致協力して、危険を避ける手段をとらなければならない(安全の確保に関する規定第一七条)。

しかしてこの列車接触を回避し得る臨機の措置として最善のものは被告人別所並びに四ツ谷にとつては上り場内、遠方信号機に停止信号を現示して二四六列車を停止せしめることであり、被告人杉山としては駅事務室に電話で事故を急報し被告人別所同四ツ谷をして右信号機に停止信号を現示せしめ二四六列車を停止させる措置を採らせること、若しくは自らが二四六列車に対し合図燈を振つて危険を知らせることである。

一、被告人別所力の責任

検察官は、被告人別所につき、被告人水野より手渡さるべき予定の通票が手渡されることなく二四三列車が通過列車同様の時速六〇キロ余の速力で自己の直前を通過して行つたのだから、右通過状況から判断し直ちに二四三列車が安全側線を突破し脱線てんぷく、二四六列車との衝突の危険を生ずべき危険を予測し、自ら二四六列車の停車措置を採るか若しくは被告人四ツ谷をしてその措置を採らしめて衝突の危険を未然に防止すべき注意義務があるのに拘らず漫然二四三列車を見送るに止めたと主張する。

まことに被告人別所は拱手傍観二四三列車を見送るに止め、衝突事故発生防止のための何等の措置をも採つていない。従つて同被告人において職務上当然要求される義務を尽していない。

検察官は、被告人別所に対し、二四三列車主務機関助士水野幹夫が別所に通票を渡すことなく通過列車同様の速度を以て目前を通過して行つた時同列車が安全側線に走行して脱線し本線を支障し更に二四六列車と接触することのあるべきことを予見すべきであると主張する。

しかし、二四三列車が被告人別所の前を通過して行つた事実をもつて同列車の機関車乗務員が六軒駅を通過と誤認していることに気づくべしと要求することは難きを求めるものである。水野機関助士が通票を渡さなかつたのも被告人別所の待機位置が下りホーム北端に近かつたため水野の顔を出すのが遅れたのだとも被告人別所としては理解し得るのであり、更に同被告人は機関車乗務員としての経験もなく、同被告人の待機地点においては列車の速度から果してその列車が停車するものなりや又通過するものなりやの判断が困難であろうことは理解するに難くないところである。(被告人青の第六六回公判における、通過の場合は六〇キロでずつと通過します。停車列車だとホームの端で五〇出て居りますとの供述記録第一四冊)、更に線路は安全側線に開通しているのである。安全側線設置の目的及び六軒駅における安全側線の機能を考慮に入れなければならない。同安全側線砂盛始端までは駅舎中心から二四四メートルの長さが存する。仮に列車が過走したとしても機関車乗務員において制動措置を採れば優に同線上に列車を停止せしめることができるのである。以上の理由から二四三列車が被告人別所の目前を通過するや同人の予見義務、結果避止義務が発生するとする検察官の主張は当裁判所は採らない。

しかしながら二四三列車が脱線てんぷくするや前叙の如く異常な火焔の発生があり被告人別所はこれを認めているのであるから、二四三列車の後部客車は異状なく停車していたとしても、その前方においては機関車客車の脱線のあること、脱線ありとすればこれが本線を支障しやがて進入して来る二四六列車との接触の危険が発生する高度の蓋然性が存することは容易に理解し得るところであるから被告人別所においては右蓋然性のある事実を予見すべき義務あるものと謂わなければならない。しかして同人の右予見義務発生の時点は二四三列車のてんぷく脱線と共に生じた異常火焔の発生を見た時、即ち二四三列車脱線てんぷくの時である。

この脱線てんぷくから二四六列車接触の時隔は二〇秒位存すること前に認定した通りであるが、時速六〇キロとしてこの間に二四六列車は三三二メートル進行するのである。この二〇秒間被告人別所は呆然として二四六列車の進入し来ることを失念し何等接触事故の発生を防止するための措置を採らなかつたことは同人の認めるところである。

ところで

検察官作成の実況見分調書(三一・一二・一五記録第二冊)によれば、

事故当時の二四六列車に最も近似して編成された列車が非常制動をとり、これが有効に作用した場合(本務機関車の時速六五キロで進行)には一八秒余を要して約一九〇メートル乃至二〇〇メートル進行して停車する。

当裁判所実施の検証調書(三六・二・八記録第一〇冊)によれば

信号扱所において上り遠方、場内信号機のてこを操作して反位の信号を定位に復位するに要する時間は四秒乃至五秒である。

上り二四六列車は既に上り遠方信号機外方において上り遠方、場内信号機の進行現示を確認し進入して来ているのであるから(浦田正治供述第三二回公判記録第八冊、同人の検察官調書記録第一六冊)一種の安心感を抱いていると考えるべきが一般であり、かかる場合には信号機の転換に気づき非常制動をとるまでに七秒位を要するであろう。(沖島喜八作成三一・一二・二〇鑑定書(記録第一三冊)中、二四三列車の運転者が非常制動措置をなした地点は時速六二キロとして駅舎中心より南方一二八メートル余の地点である旨の記載から推すと、二四三列車の運転者即ち被告人青が非常制動をなすまでに約七、五秒を要したこととなるが、同被告人は五軒駅を通過と信じ込んで同駅に進入し来り、駅舎中心通過直後初めて出発信号機の現示が赤であることを発見し急拠非常制動をとつているのであるが、それまでに約七、五秒を要していることとなる。被告人青は本件事故を惹起するまでは、優秀なる機関士としての評価を得ていたのであり、又事件当日健康的精神的に違和を感じていなかつたのであるから、この七秒五の時間は、上り遠方、場内の青を確認して進入して来た二四六列車の機関士が信号が反位から定位に転換されたことに気づき非常制動を採るまでに要する時分を算出するにあたり大いに参考となるであろう。)

二四三列車脱線てんぷく当時被告人別所のいた地点は信号扱所前ではなく信号扱所北方一〇メートル位の地点を歩いていた(四ツ谷検察官調書三一・一二・一九記録第一二冊の一)。仮に一〇メートルを二秒で走るとして信号扱所に到着し信号機を扱うまでには二秒を要する。

以上別所が信号扱所に赴くに要する二秒、信号機を転換復位させるに要する四秒、機関士が制動をとるまでの時間七秒、合計一三秒の時間は二四六列車の機関士が非常制動をとることができるまでに経過する最少の時間である。

時速六〇キロとして二四六列車は一三秒間に二一五メートル北進する。接触地点まで余す距離は一一七メートル位である。斯くては仮に二四六列車の非常制動が作用したとしても同列車を接触地点前方において停車せしめることはできないであろう。

過失犯の処罰は行為者が結果の発生を回避できたに拘らず、法の要求する結果回避に必要な行為に出ずそのため結果が発生したとみられる場合にのみ可能であると解すべきところ、被告人別所は二四三列車の脱線てんぷくを見ながら二四六列車の進入し来ることを失念し同列車を停止させる何等の措置をも採らなかつたが、仮に同人が直ちにその措置を採つたとしても二四三列車と二四六列車との接触はこれを避け得なかつたであろうことは前説明により明らかであろう。即ち同被告人の過失と二四三、二四六列車の接触これによる死傷の結果との間には因果関係がない。同被告人に対し刑事上の責任を問うことはできない。

結局同被告人については公訴事実の証明なきに帰する。

二、被告人四ツ谷準之助の責任

同被告人も二四三列車が自己の目前を走過後二四六列車停止について何等の措置を採つていないことは被告人別所と同様である。しかして被告人別所の責任について述べた理由の大部分は被告人四ツ谷の責任の有無を判断する場合にも同様に謂い得るのである。

検察官は、被告人四ツ谷としては水野機関士が通票受柱に通票を投げかけて行つた時点において二四三列車の脱線てんぷく本線支障、二四六列車との接触を予見すべきであると主張するが、別所のところで述べた安全側線の理由からにわかに賛成することはできない。被告人四ツ谷についての注意義務発生時点は当時既に暗くなりかかつていた状況を考慮に入れれば、同被告人において二四三列車が下り本線上に突然停止したのを現認した時点とみるのが相当で、この時点は二四三列車が完全停止した時点と概ね一致するものと解して妨げないであろう。此のとき被告人四ツ谷の現在した地点は信号扱所から南方一〇メートル位の地点であるから信号扱所まで走つて行つても二秒を要する。

以下被告人別所力の責任の項において述べたと同一の理由に基き被告人四ツ谷についても公訴事実はその証明なきものと謂うべく、次に、

一、被告人杉山静雄の責任

検察官は、被告人杉山について自己の直前で二四三列車が安全側線車止を突破し脱線てんぷくの上、その客車一輛が本線に乗り上げたのを目撃し、やがて二四六列車が進行して来ることを知悉して居り、しかも右脱線てんぷくから二四六列車が現場に差し蒐る迄四〇秒位の時隔があつたのであるから、右目撃と同時に所携の合図燈を白色から赤色に切替え上り列車に対しこれを振り廻して二四六列車に危険を知らせ急停車の措置を採らしめ衝突を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず、この注意義務に違反したため二四六列車を接触させ死傷の結果を招来した。

と謂うのであるが、二四六列車の入駅を南箱番附近で待機していた被告人杉山としては薄暮の中約七〇メートル位の南方に二四三列車の脱線てんぷくの事故を見ているのであるから、下り安全側線と本線との間隔より当然に二四三列車と二四六列車との衝突事故を予見しその回避に努むべき注意義務を有し、而して同被告人としてこの列車接触を回避し得る行為として採り得るものは、駅事務所に電話で事故発生を急報し、下りホームに居る別所、四ツ谷をして場内、遠方信号機に停止信号を現示して、二四六列車を停車させる措置を採らせること乃至は自らが二四六列車に対して合図燈を振つて危険を知らせることである。

而して二四三列車脱線てんぷくと二四六列車接触までの時隔は既に認定の如く約二〇秒であるが、この間に被告人杉山は、二四三列車の脱線てんぷくを目撃するや、まず駅舎に電話して被告人別所、同四ツ谷をして上り場内、遠方信号機に停止信号、注意信号を現示せしめようと努め、その目的達成不可能を知るや合図燈を赤に切替え二四六列車に合図しているのである。検察官は、被告人杉山としては駅舎には無人であることに気づくべきであつたのに、不注意にもこれに思い至らず、徒らに電話して無為に時を費やしたとして同被告人の右の架電の措置を非難するが、南箱番より駅舎への架電行為は既に暗くなりかけていた当時としては事故通報の最良の方法であり、駅事務室内は無人であるにしても駅事務室入口附近若しくは信号扱所附近に駅員の居ることは通常当然に予想されるところであるから、同被告人が先ず電話連絡により二四六列車に対する停止信号現示をしてもらおうと図つたことは、たまたま本件においては好結果を得られなかつたけれども機宜を得た措置であり、決して迂遠の方法として非難さるべきものではない。否、三渡川鉄橋を挾んで線路が上り下りの勾配になつている点を考慮に入れるならばこの措置は最良の方法であろう。しかも同被告人は駅事務室に架電するも応答なく、右架電中に南方より二四六列車の前照燈が現われて来たので、所携の合図燈を赤色に切り換え同列車に向つて一〇数メートル走つている。不幸、二四三列車と二四六列車との接触事故を阻止し得なかつたけれども、右時隔において同被告人の採つた措置は法の要求する結果避止義務を尽したものと謂うべく、接触事故の発生は同被告人の注意義務違背に基くものと謂うことはできない。

二四三列車と二四六列車との接触、それに基因する死傷の発生は同被告人の過失に基く旨の主張はその立証なきに帰する。

駅側被告人に対しては刑事訴訟法三三六条後段を適用して無罪の言渡をすることとする。

以上の理由により主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 小川潤 裁判官 岡田利一 裁判官 高橋爽一郎)

<以下省略>

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